尾道旅行記欠片2

TITLE: 小説ぽい34 尾道3日目

DATE: 02/24/2011 19:39:20

旅の鉄則その一、無駄な時間を過ごすべし、情景に思索を重ねるべし。
朝、尾道駅より電車に乗り、福山着。なかなか大きな都市である。駅の目の前に城があり、逆側はビルの立ち並ぶ繁華街になっている。明日以降の旅をどうしようか、高速バスを調べたりしながらぶらぶらしたのち、鞆の浦行きのバスに乗った。
運転手のお兄さんは痩せてスマートで品のある、色白なジェフ・ゴールドマンに似たかっこいい優男で、何か職務に純朴に忠実な印象を受ける。まばらな車内に僕が乗り込むとすぐに現れたのがきっつい大阪弁のおばちゃんコンビだった。
初めて、目の前に、まざまざと大阪のおばちゃんズを見た。すごかった(笑)。おそるべし止まない弾丸トーク、「なんでやねん」「よう言うわ」「ちゃうやろ」と、旅ではしゃいでるのか知らないがフリ、ボケ、ツッコミを互い延々と繰り返し、「どや!わしらや!わしらはどんな場所も席巻するでえ!」みたいにバス内の天下取りのオーラを漲らせ、かっこいい運転手さんに凄まじい押せ押せトークを畳みかけ、傍目に明らかにその若い運転手さんは参っていた。とにかく「そこに存在することはトークすること」という信念でもあるようにおしゃべりを辞めず、会話が一息ついてしまうとトークの獲物を探して車内を見渡すのだ。
震撼とした。
絶対に関わるまい、そう思って硬い暗い顔で窓の外を眺めて一切目を合わさず発車の時を待った。ヘタに会話に受け答えしたら地獄のように延々と終点まで会話に付き合わされる恐怖があった。命がけでせいいっぱいの暗欝感を出し、彼女たちの被害を受けるのを防いだ。
やがてバスは発車した。イスが半分埋まるくらいの混みようである。乗っているのはおばちゃんお婆ちゃんばかりだった。月並みなどこにでもある地方都市の風景の中を走っていく。やがて濡れた濃い緑を感じさせる自然の多い風景になって行き、そして静かな車内に、ひたすら大阪おばちゃんコンビの会話だけが鳴り響いていた。誰もが静かに、アンニュイに、やむなく大阪おばちゃんトークに耳を傾けていた。
芦田川を越えたところ、大洗団地とかいうバス停で停車して人を降ろしたバスは、そのまま動かなくなった。その通り過ぎた川の名前を記憶しているのも、このアクシデントがあったからである。ぷしゅー、ぷしゅーと言ったままバスが動かない。客を降ろした後ろのドアが、閉まらなくなってしまったのだ。かっこいい運ちゃんは何度も試し、やがてバスを降りてドアをいじくり、やがて無線でどこかに連絡し、またバスを降りていじくり、のどかな、何もない風景の中で立ち往生となった。
あらあら。
あても、なにもない旅、どんなアクシデントも万事OK。
やがてどうやってもドアが閉まらず、無線を繰り返したお兄さんは、
「すみません、皆さんここで降りてください、10分ほどで後続のバスが来るのでそちらに乗ってください、すみませーん」と言い残し、何もない河原に僕らを残し、ドアが開いたままのバスで行ってしまった。
なんちゅうことはない河原の風景。
珍しいアクシデントに変なタイミングで会ってしまった、この風景を眺めるのも何かの縁だろう。10人ほどの老人たちとただ河原でたむろし、僕は大阪ババアを避けて離れたところで煙草を吸った(笑)。大阪おばちゃんたちは、とにかく間断なくしゃべり続けていた。
やがて後続のバスが来て、僕たちは再びバスに乗った。バスの終点は鞆の浦である。
やまない大阪トークを傍らに、バスは鞆の浦に着いた。
海の景色の力たらなんだろう。何度出会っても、海を初めて見るごとに、感動、酩酊する。尾道の海と違い、潮の匂いが強かった。あきらかな、漁師の街だった、海沿いには漁の道具や干された魚が並び、たくさんのカモメが舞ったり海に佇んだりしていた。
海に沿う大通りを歩いた、防波堤にはいくつもの釣り人の人影がある。海の向こうにはいくつのも島が浮かび、社の建っている島があり、可愛い船がそこへ向かっていた。
僕はその海っぺりの道の突き当たりの、レンタサイクルを目指した。
さて、鞆の浦とはジブリの映画「ぽにょ」の舞台となった場所だそうである。宮崎駿がこの街のどこかに泊まり込み、この街の風景をモチーフに物語を作り出したらしい。
そして、まさしく映画になるべき強烈に幻想的な街である。
海沿いの大通りを行き切ってその先に、小さな港がある。そこの防波堤の先に古い燈篭があり、つまりはその燈篭をシンボルに、その港の繁栄が及ぶ小さな小さな街の一区画、山と田舎と海のただそれだけの世界にまるでディズニーランドみたいに一区画、その小さな港町の範囲だけ、ぎゅぎゅうーっと日本の文化と歴史を詰め込んだような激烈な情緒を持ったワールドが出来上がっている。江戸時代から時の流れに追い越され続け、ずっと江戸に留まり続けているような、江戸も明治も大正も昭和もそこに座り込んで動かないでいるような、強烈に日本人の暮らしがその歴史が風景の陰影に刻まれた大迫力の街がある。これは、圧巻の「リトルな別世界」だった。その沖でかつて竜馬の船が沈没し竜馬がこの街に立ち寄ったらしいが、まさに竜馬と今そこで擦れ違いそうな風情があった。すべては古く、継続した歴史とがんじがらめの縁を持っており、悪意を持って新時代の文明を拒絶し続けているような観があった。
こじんまりとした港の、その小さな海、周りの複雑な造形と小さな漁船の船影をいっぱい映しこんで、それ自体が変化や進化を完全否定してこのまま永遠であろうとしているかのようであった。この小ささと、寡黙な古いものものの賑やかさとは、いったい何なのであろうか。ここでも、「何か」が人々を使って「ある均衡」を永遠に守ろうとするような不思議な得体のしれない力を感じたのである。
さてレンタサイクルを借り、自転車に飛び乗った。その小さな港を過ぎると複雑な起伏の多い細い道が山の中に入っており、不思議な独特な信号、車の通行がめちゃ困難な細道、まるで昭和初期の古い木造のパン屋、長旅を考えて途中の自販機でジュースを買おうとするものの詰まってて取り出せず、その隣の酒屋では客が世間話を大声でしており、えいやとどんどん道を進んでいくが、山道。海辺に出て海沿いをずっと走りたいと思ったが、山道。
なんだかどんどん山道、ひたすら上り坂。
昨日の戦いを思い出してぞっとした。また悲惨な道行になってひいひいいって自転車を漕ぐ羽目になるのは勘弁だ。
すんなり引き返した、旅は気楽に、冒険はほどほどに。
下り坂を気持ちよく帰って来ると、さっきの酒屋でまだ大声でおじいさんがしゃべり続けていた。
メインの港前に戻り、その小さな街をいろいろと駆け巡ってみる。
本当に小さな街で、そうだなあ、表現すると、小学校3つ分ぐらいの大きさの街、そこが縦横きれいに道で整理され、その道沿いに古い商家や蔵などが並び、暇そうな店主や船具の店など、観光用の店も出来ているけれど、ほんとにいつの時代だかの営みのまま何も変わる気もなく黙って続き続けている雰囲気がある。チャリで走ればその街のすべてを見るのは容易で、東西南北の街の終わりを巡り、いろんな通りを走って回って、海沿いの道に出、バスで来た道を走ったがその先何もなく、戻ってチャリをレンタサイクルに返した。この街は徒歩でじっくり見て回った方がよさそうだ。
空腹で海沿いの鯛亭という店に入り、鯛茶漬けを頼んだ。
驚いたのはそこに大阪おばちゃんズがいて、なんと今だにしゃべり続けていたことだ(笑)
どうも分不相応な店に入ってしまい、店の大将に気遣われるまま急須で湯を入れ蓋して蒸らして、鯛茶漬けを啜った。鯛がぷりっとしておいしく上品な気分で腹いっぱいになった。ごちそうさまと言い、似合わない客はそそくさと店を出た。
史跡の古い街角を歩き、というか史跡で出来た街であり、そのまま歩いて城跡の資料館に登りその広場のベンチに腰掛けて鞆の浦を見下ろした。
煙草を吸いながら、旅のつまらなさを思う。
どんな情景を目の前にしても、確証を持って体感できるのは身の回りのちょっとした範囲だけだ、風景はつかめない、どんなに美しい風景を目の前にしても、それは絵画のようで、体感として自分の中に入って来ない。
いつもそうだ、暮らす以外にその場所を体感することはできないのだ、旅とは自分の小ささを知る行為なのである。
トンビが目の前を飛んでいた。
生きることは本当に不思議である。
なぜ「自分」がこの小さな一匹の動物の中に固定され、場所と時とを固定され、役割があるにしてもなんとも小さな役割を、じめっとゆっくり遂行するのか。心の感動と自分のスケールとの凄まじい乖離に、いつも違和感を覚えてしまう。体感する旅の自由を、僕は未来へ持っていけない。すぐ近い日、ふと思うその時には、僕は仕事に汚れその動く指先を見つつ、もうこの今を現実として取り戻せないのだ。その繰り返し。茫漠。
安らぎや至福というものは、僕の心の問題を一切解決しない。心の中にある謎は、このせつない疑問は、心が平穏である限りずっと心の中にあり続け、それを優しく見つめたり、時に哀しく見つめたり、謎と向き合う自分の心持が変わるだけだ。
解消されることはない。
一時その謎を忘れる瞬間、謎をうんこのように蹴飛ばす瞬間、熱くこみ上げる情熱が欲しい。
瞬間の激情しか自分を満たすものはなく、つまりは成就ではなく欲望の発心その着火の瞬間のみが僕を開放してくれ、
その歓びは避けようもなく一瞬で、
そのあとにはより一層深いせつなさを積み重ねるだけなのだ。
せつなさを積み重ねた果てに何があるのですか。
海と山と空の景色。
の中に、
一瞬あのコの微笑みの印象が浮かんだ。
むくわれない思索を、それでもしてみるために旅がある。
生きる謎のふちを手探りであたるとき、そのとき初めて自分の心の正しい輪郭に触れられる。
ああ俺は一匹の動物だ、
ぷるんぷるんの思い出をその器からもりもりにこぼして生きる、
もう器にとっくに入り切れなくなっている思い出を印象をぶるんぶるんにこぼし続けて壊れながら生きる、
一匹の動物だ。
見た目にはただの人間に見えるだろうが。
煙草を消して立ち上がった、心が立ち止まったり歩いたり、を繰り返して、「その世界」を自分の中に取り込むものなのだ、鞆の浦は日差しを隠した薄曇りの空と共に、自分の中に広がる回廊と接続した。
その場所を海へ降りていくとすぐバス停だった。回送のバスが来て停まり、表示が福山行きに切り替わる。港についているトイレで用を足し、バス停のベンチで煙草を吸っていると、バスを降りてきた運転手さんが「こんにちはー」と声をかけてきた。慌てて返す。東京の無言の擦れ違いに慣れてしまっているが、こちらの人々のおおらかなはっきりとした挨拶にはびっくりしてしまう。相手を詮索することもなく親しみのある会話が始まる予感に満ちた挨拶だ。運転手さんはそのまま行き過ぎ、港の人々と立ち話をすると、こちらに戻って来た。大柄な、温厚そうな、他人への壁を一切持たずに暮らして来た風情の人物である。ニコニコとして僕のところに来て、
「どちらから来たんですか?」
「千葉です」
「へえー!」
千葉の海とはまた違うでしょう、島がないでしょうから、ここはいいところ、晴れれば四国の山々が見える、冬もいいんだ、海の向こうに雪の積もった山々が見える、ここは歴史が古い、源平合戦の舞台にもなった、いろいろな塚があるのです・・・。
いろいろな話を聞きつつ、バスの出発時刻になり、バスの中は運転手さんと二人きり、窓の外に海を眺めながらいろいろ話した。
「シュッカエンは行った?」
「シュッカエン?」
朱華園のことだった。あの尾道の、強烈に印象に残る後味のラーメン屋だ。
ああ行きました、おいしかったと話した。
僕が学生の頃は屋台を引いていた、台湾から来た人だった、よく行ったものだ、今じゃ尾道ラーメンといってテレビにも出るようになった、尾道ラーメンの元祖の人です・・・。
やがてバスにおばさんが乗り込んで来ると、そのおばさんに僕を紹介し始めた(笑)千葉から来たんだって、と(笑)へえー(笑)
幾人かのおばさんが乗り込んで来たものの、他のおばさんを差し置いて、運転手さんはいろいろと大声で話してくれた。巨大な軍艦が入る日本最大の場所があり鞆の浦から見える、芦田川の上流でたいそうな遺跡が発掘されたという話、などなど・・・。おばさんが大声トークに苦笑して僕を振り返った、僕は朝バスが故障した話を聞かせ、運転席の一角だけ賑やかに、やがてバスは福山に辿り着いた。
運転手さんにありがとうと言ってバスを降りた、なんだか楽しい気持ちで鞆の浦の旅が閉じた。
尾道に帰りつき(尾道が帰る場所!)、グリーンヒルホテルの船着き場で船の時刻表を確認し、駅のお土産屋で配送の確認をし、駅の逆側に行ってサティへ、百均でTシャツや靴下下着など残りの日にち分買い込み、いつもの食品売り場で酒と弁当つまみその他、駅裏を通っていつもの歩道橋へ。
うずしおはしという歩道橋が商店街と山の間の道の上にかかっている。
時刻は4時過ぎ。
その橋を渡ると、目の前が山のふもとの小学校、下校時刻で子供たちがいっぱい出て来る。
きらっきらしたまなざしでこんにちはといくつも挨拶され、頑張って返し(笑)、小学校の横手に回って行くと、人殺し坂階段の入り口である。
もう、超お気に入りになっていた(笑)。
旅の一日の締めくくり、夕暮れの小学校を振り返りながらこの人殺し坂を登るのだ。めたんめたんな段差をひいはあ登りながら、やがて眼下に尾道水道を見下ろす。ひとつの、一日の、終わりに設定された、素敵なアトラクションだった、今も思い返すと強烈に登りたくなる(笑)
そして例の如く、ホテルに辿り着いた時には汗だく。
フロントで、宿泊延長を頼んだ。フロントのお姉さんはうれしそうな顔をした。
3日追加、もう尾道から動かない。尾道を起点に方々に行こうと決めていた。
一割引で激安でこちらもうれしかった。
根城、に辿り着く。
この旅は尾道一色にして帰る。高知に行こうとか神戸に行こうとか鎌倉に寄ろうとか考えていたけれど、す、べ、てご破算にした。とことん尾道のこの島々にこだわってこの旅を仕舞おう、この区切りの旅を尾道オンリーにすると決めた。
さて。
ビール飲みつつ、洗濯開始。
ユニットバスに湯を溜め、ジーパン、ワイシャツなど、この3日着続けたものを放り込む。据え付けの石鹸でごしごし洗う。
懐かしくて、楽しかった。
19歳の頃、福岡でひとり暮らししていた頃、僕は洗濯機も冷蔵庫も持っていなかった。
ユニットバスに湯を溜め、洗濯ものを放り込み、洗濯洗剤を入れ、素っ裸になって洗濯ものをぐちょぐちょ踏み、もみもみし、そいつをなんどもお湯を入れ替えて漱ぎ、最後に人力で絞って洗濯していたのだ。
あの頃と全く同じことをする。
踏んで揉んで、素っ裸で汗だくでお湯ですすぎ、何度も絞り、すすぎ、ぎゅぎゅーと絞って、素っ裸で風呂場から出て来て洗濯ものをハンガーにかけ、エアコンの噴気口にそのハンガーをかけ、フル冷房をかけ、再びユニットバスに戻り、今度は自分の体を洗う(笑)
エアコンをフルの暖房、最強冷房に交互にして洗濯物を乾かした。
素晴らしい作戦だ、これで明日の朝には乾くだろう。
水割りを飲みつつ、いい心地になった。
ぱりっとしたベッドの隙間に体をねじ込み、いろんな今日一日の映像が瞼の中に明滅するまま、いとも簡単に眠りに落ちた。

つづく!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?