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今だから言える!ー小学生時代ー②

どうも。小学生が下校する様子を見てノスタルジックな気分になる系大学生です。

早速だが、皆は人の言ったことをどれくらいで信用するだろうか。確証が得られるまで信用しないという人もいれば、全く根拠の無いことだと分かっていても、それっぽく話されると信用してしまう人もいるのでは無いだろうか。

俺はどちらかといえば、後者の人間である。

間違っていると分かっていても、あたかも真実であるかのように語られると、信じてしまうことが多い。そもそも、他人の言うこと疑うのは得意じゃない。面倒くさいのだ。頭を使うから。そういう意味では信用してしまった方が楽なのである。(←こういうのがネットの真偽不明の些細な情報に踊らされたりする)

今では少しマシになったが、高校生くらいまでは本当に他人の言うことを疑えなかったので、他人の言ったことに反論したりすることもあまり無かった。反論とは真逆で「あれ?俺が間違ってんのかな」とか「俺っておかしいのかな?」などとむしろ自分を疑っていた。まぁ、2文字で言えば馬鹿である。(良く言えば性格が優しすぎたのだろう。当時は。)

俺のこのような性格のせいで、小学生の時にこんな事があった。(正直大した話ではない)

小学校2年生の時のことである。

恐らくどこの小学校も2年生になれば、図工の時間に、ハサミやのりといった簡単な道具だけでなく、絵の具のようなちゃんとした道具を使い始めるだろう。

俺の小学校もそうだった。

2年生の春に、絵の具のカタログが載ったチラシが配られて、親と一緒にどの絵の具にするか決めた記憶がある。

小学校2年生の男子などは皆同じことを考えているので、絵の具セットが配られた当日は、青くて龍のイラストが入った絵の具セットが嫌でも目に入った。

俺も例に漏れず、絵の具セットは「メカ・ドラゴン」だった。

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(実物とは違うがまぁ大体こんなやつだ)

話は変わるが、小学校3年生になると書写の授業で習字が始まる。そのため、今度は習字セットを選ぶことになった。

まぁ、たかだか1年で小学生の趣味趣向が変わるはずも無く、俺は習字セットも「ドラゴン」にした。しかし、いざ習字セットが配られると「ドラゴン」にしていたのはクラスで2,3名だけだった。それ以外の男子は殆どが何かのスポーツメーカーの習字セットにしていた。無難なチョイスである。

何たる不覚。

下校中に何故「ドラゴン」にしなかったのか友達に聞いてみると、どうやら親からストップがかかったらしい。習字セットは絵の具セットと違い、中学生になっても使用する。中学生にもなって「ドラゴン」の習字セットを使っていれば、絶対にバカにされる。中学生で「ドラゴン」の習字セットは、小学生でオムツが取れていないのと同じようなことなのだ。

俺は激しく後悔した。母よ、何故俺にストップをかけてくれなかった。

とは言っても、問題は「ドラゴン」を選んでしまったことよりも、周りと違うものを選んでしまったことだ。小学校という排他的なコミュニティの中で、習字セットで周りに溶け込めなかった。俺のこれからの小学校生活を脅かす事態…という程でも無いが、かなりショックを受けたのは覚えている。

まぁ実際習字の最中に、誰がどの習字セットを使っているかなんて誰も気にしていなかったので、何の問題も無かったわけだが。

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(習字セットのデザインで悩めるなんて幸せね)


話が逸れたが、小学2年になり図工で絵の具を使うようになったという部分まで戻る。

ある日の帰りの会、担任の先生が翌日の図工の授業で絵の具を使う旨を全員に話していた。俺はそれをちゃんと聞いており、翌日の朝、登校班の集合場所にメカ・ドラゴンを肩にかけ向かった。

そこで先に来ていた同級生に、今日絵の具要らないよ?と言われた。俺は確かに先生が絵の具を使うと言っていたのを覚えていたのだが、その同級生は学校の中でトップレベルに足が早く、クラスのリーダー格だった(絵の具セットはメカ・ドラゴン)のもあり、俺は少し疑問を感じつつも信用してしまい、結局メカ・ドラゴンを置きに帰った。

だが学校に行ってみれば、やはり絵の具は持ってこなければならなかった。小学生はちょっと忘れ物をしただけで、罪人のような扱いを受ける。本来であれば俺は持ってきていたのに、忘れ物をした人扱いされたのが何とも悔しかった。

その日の下校時に、俺はその話を別の友達(勿論メカ・ドラゴン)にしていた。俺はまぁまぁ腹が立っていたので、「マジであいつバカじゃん」みたいなことを言った。偶然というものは恐ろしく、なんと後ろでそのリーダー格の同級生が聞いていた。そしたら、彼は傷ついたのか怒ったのか、「今俺のこと馬鹿って言った」「お前のお母さんに言っとくから」と走って先に帰って行った。

少しビビりながら帰宅すると、親からは特に何も言われなかった。彼はチクっていなかったのだ。

そこから数日後、学校から帰ると、家の前に自転車が停まっており、誰かが俺の母親と話している。どうやら彼が本当にチクりに来ていたようだった。いや何で今日?と思った。チクると言った日にチクれば良かったのに。それ以上に、クラスのリーダー的存在が、俺ごときにバカとか言われたくらいでホントにチクるとは思っていなかったので驚いた。クラスのリーダー格も本当は繊細な心をもった1人の人間なのだと感じた。何となく気まづかったので、俺は慌てて近くの電柱に隠れた(←隠れられるわけが無い)。

しかし結局、俺は彼に見つかった。

彼は大して怒っていなかった。母親も子供同士で解決するならと首をつっこんで来なかった。確かあの場には、友達がもう1人居たような気がしたが誰かは忘れた(どうせメカ・ドラゴン)。特に何事も無く、最後には俺と彼ともう1人の友達と3人で仲良く話していた。(小学生なので、大抵の事は「ごめん」の一言で解決するし、その後は何も無かったかのように楽しく話せる。)




という話である。

だから最初に言っただろう。

大した話では無いと。







他人の言ったことも少しは疑ったり、自分にも少しは自信を持っていいんだよと、自分に向けて語りたかっただけの話であった。






最後に

これから結婚して子どもが生まれるであろうそこの君へ

もし自分の子供が絵の具セットを「ドラゴン」にしたがったら、変なアドバイスはせずに「ドラゴン」にしてあげよう。絵の具セットで子供社会の荒波に揉ませてあげるのもきっと、1つの教育のカタチだから。


それでは。

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