脳について考えるな。

「精神病を”会話”で診断するなんてもう古い!」 83,000個の脳をスキャンしてわかった、精神病の正体
http://logmi.jp/11687

素直にすごいなぁと思いつつも、何か危ういような感じもしていて、しばらくの間、その正体に気付かなかった。

そうだ、これはまるで「家畜人ヤプー」だ。
ヤプー(旧日本人)たちは、白人たちから虐待を受けることで、至上の愉悦を感じるように馴致されている。それは白人たちによる憎悪によってではなく、家畜であるヤプーが出来るだけ苦痛を感じないように、という「慈畜主義」によって為されるのだ。

人格を変えてしまうような治療を行う、ということでは、手塚治虫「ブラック・ジャック」でお蔵入りになった回、「快楽の座」も思い出す。

「治療」というのは、患者の苦痛を取り除くために行うものだと思うが、苦痛が無くなれば、その結果として性格が変わることもあろう。「性格が変わるような治療はダメ」と簡単には言えない。まるでシュレーディンガーの猫のように、観測者が実験結果に影響を与えてしまう。

身体のどこかに血流の阻害があれば、血行を良くするのは自然な治療方法であろう。足が痺れた時に、さすったり叩いたりするのは当然のことだし、それが足でなくて脳だったからといって、直ちに倫理的に問題があるとは言えない。

「本人の同意無しで、人格が変わってしまうような施術を行うべきではない」という主張はあろう。しかし現実には、患者が意識不明だったり、未成年だったりして、意思を確認できない場合もある。そして、本人が同意したからと言って、何を行ってもいいのか、という問題もある。人格が変わってしまえば、治療に同意した人格も存在しなくなってしまうし、そうなってくると、自我とは何か、人格とは何か、みたいな、ややこしい問題にもなってくる。

貴志祐介の小説に、霊長類の脳に寄生し、A10神経を刺激することで、恐怖を快感に変えてしまう線虫が登場する。これは小説の中だけの話ではなく、実際に、嗜好や行動に影響を与える寄生虫が存在するということが知られている。
患者によるある意思表示が、そのような寄生虫や微生物などの影響によるものなのか、確認する方法は存在しない。いや確認する方法があったとしても、その確認を行う為に本人の意思を確認する必要が生じる・・・という無限後退に陥ってしまうのだ。

ダメだ、これ以上は何を言っても無駄だ。脳について語ると、必ずループに陥ってしまう。初めから負け戦と分かっている騙し合いのようなものだ。

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