修論と戦うために

さて何を書こうか.とりあえずここに書き留めておこう.ブログは人生の外部記憶容量なんでね.

ここから先は個人の備忘録なので1ミリも価値がなく,読まなくてもこれからの人生に何も影響を与えないので買わないでください.

修論の締め切りが迫ってきた.自分の中で研究が行き詰まり始めたのはM2の中盤位からで,自分が思っていた解釈のしかたに舵をきって発表しても「なにが示したいの?」と言われて困ってしまった.そこで一部の対象に注目した物を作ってみたけど全然うまくいかない.自分が扱っているNNはあくまで全体をうまくよくする方法ではあった.けれど一部のデータに着目した時にはもっと良い方法があったはずだった.この時にもっと広い目線から資料に当たれば良かった.

結局最後の部分はネガティブな結果しか得られてない.その方法ではうまく行きませんでしたと言うことを示すことも大事なのはわかっているが,結局外に出ていく論文はそのほとんどがうまく行った時のことについて話す.それは別にうまくいかなかった時のことを隠してるわけじゃなく.うまくいかなかった時のことを内容に組み込むと本当に伝えたいことがぼやけるからだ.それはわかってる.彼らだっていくつもの失敗を乗り越えた上でうまく行っていて,うまく行った部分について発表してるだけだ.けど自分の研究がうまくいかない時にそのネガティブな結果について述べないといけないこと.どうしてネガティブだったのか検証しないといけないことにストレスを感じ始めている.ネガティブであるなら検証は今更ではないか.検証したってそれを改善する時間も猶予もない.今自分が書いてるのは修士を卒業するためにだけに書いてる書類であって,科学に貢献しようとか将来論文を出そうなんていうことは微塵も思ってない.卒業できて就職したら関係ないと思いながら書いてる.

自分が修士で得たものは,国内学会で2件発表したと言う小さな業績と,就職先,コンペでの少しの結果,自分で作った趣味コードくらいだった.

結局論文は一報も投稿できず,コンペで勝てもしなかった.修士にいかなかった場合でもきっと趣味コード位してただろうし修士にきて得た物が本当に自分にとって意味があったのかわからない.就職していたら得られたであろうお金を捨ててまで修士にきた意味があったのかもわからない.

まあifとかthenとかの話をしても意味はない.これから先は,ただ自分が卒業するために少しでも論理的で筋の通った文章を書いて修論を書き終わるだけだ.

就職した後にこれを見返してどんな気分になるのか見当もつかない.

その時もまだ,論文を出せなかったことを後悔しているのか,研究に心残りがあるのか,はたまた,研究は自分に向いてなかったと割り切れてるのか,これを書いてる自分はまだまだこどもだなと思いながら大人ぶってるのか.

わからない自分の将来も,してきたことの価値もわからない.

でもそれでも二年間わからないなりに頑張った.その証として修論を書かないといけないし,書いていきたいと思う.

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