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好きだったもの


私には、意外にも、明かしていない好きだったもの。幼なじみの人、小学校から一緒やった人ぐらいしか分からないと思う。そう、小学生の頃の生きがいのお話。

私の行っていた小学校は人口も少なく、大人の人、高齢者などの占める割合が大きすぎて、子供の数が圧倒的少なかった。6年間20人前後の1クラスの学校で、4年生から、委員会活動が始まった。私はその、委員会活動がすごく好きだった。

4年生の頃は、なーんとなくな感じで、放送委員会に入った。放送委員の主な仕事は、お昼の放送。みんなの給食の時間中に曲を流したり、喋ったりとにかく楽しかった。なんか朝の放送もあったような気がするけど、そこまでは覚えてないが、もう1つは、集会。これも滅多になかったけど、中心となってみんなが楽しめる企画を作った気がする。やっぱりみんなが楽しそうにゲームに挑んでくれた姿を見て、今だからこそ、やってよかったなぁーって思えた。

そんなお昼の放送。記憶は曖昧やけど、週2回やったような気がする。担当の先生が、何個か曲を入れてくれて、普通に流していたけど、ある委員会での集まりの時、1年生や、2年生などの低学年にも盛り上がるような曲を掛けろと提案してきた。すぐに動いて、全学年に流して欲しい曲のリクエストを集計して、見ていったら、その当時はイナズマイレブンや、ポケモンが流行ったんかな。あとは、定番のドラえもんとか。4年生〜6年生の集計は、人それぞれだったけど、それこそ嵐や、AKBなど。

曲をかけれるのは、1日2曲だけ。だから、結構難しかった。昨日もおとついもこの曲と言って、飽きられるのが1番嫌だったから、なるべく同じ曲は避けてきた。でもそうなるとリクエストを全部無視して、自分の好きな曲をかけるしかなかった。
自分が同じ当番の後輩に、なんかかけたい曲ある?って聞いても、なんでもいいとしか言わないから、それが帰って残酷。
はっきり言って、CDに入ってる曲数の無さに、ネタを尽きている。同じ曲ばっか流して、飽きひんのかな?とか思っていたけど、ってかお昼の放送をそもそも聞いていない人も増えたからはっきり言っていらんくね?って思ったけど、友達から、あんたの放送面白いよって言ってくれた人がいて、それが励みになり、放送の冒頭では、聞いて貰えるような無茶振りカンペなども笑いに変えれるように努力した。恥ずかしかったけど、やってて楽しいなって思えた。

それが、中学、高校に入ると、部活として活動するようになったからはっきり言って悲しかった。しかも、誰も聞かんのやって。楽しかった放送委員の仕事。小学校でのたった2年間。ホントに楽しかった。トラブルも含めて。

この貴重な経験は、長く感じても、みんなが思ってるより短いのかもしれない。だからこそ目の前のことをこれからも思いっきり楽しむことが大切なんやね。

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