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本当に怖いのは暴力と恐怖心の物語

車が要突するような大きな音の後に
布団から飛び起きると突然殴られた。

衝突したような音は扉が
ものすごい勢いで蹴飛ばされたものだった。

今日も始まるのか、
夜の生き抜くための試練
一般的にはDVや家庭内暴力と呼ばれている
良くある話だテレビでは
たまに死者がでると取り上げられる。

明日は学校に行かなくてはならないのに
今の時間は23時これから3時までの生き地獄。

殴り手には顔を殴らないとゆう作法がある。
胸、腹、腕、足、は
痣が見えないように叩くコツは
悪いところに当たらないようにすることだ。

私を殴っているのは実行するのは
血のつながった父親である。

母親はすでに殴られて軽く痙攣を
おこしているが生きているようである。

普段はよい父親なのだが、
酒を飲み気に入らないことがあると殴る。

営業で帰ってきて気に入らないことが
あると寝ていようが起きていようが殴る。

テストの点数が悪いと殴られる。

ただ、殴りたいだけなのだと
気が付くまでに10年かかった。

ある時から母親は殴られる前に
恐怖から絶叫するようになった。

それはこの世の思えない人の声とは
思えない音がマンションに響いた。

それからだ、父は専ら私を重点的に殴るようになった。
結果的に母親は精神に異常をきたしたらしく、
家からいなくなることもしばしばだった。

初めて殴られたのは5歳ぐらいだと思う。
大人になって分かったことだが
母のきちがいの状態は
本で調べたところ精神崩壊を
防ぐための一つの作用とのことだった。

小学生の時に担任の先生から
「お子さんにちゃんと食べさせてますか」
と申し送りされてしまう程だった。

7歳の時はキャッチボールと言いながら
硬球を腹めがけて投げつけてくる
何とも大人げない父親であった。

本をよく読んでいたようだが父は自分が頭がいいのに
私の学力の低いことが気に入らないので
勉強は殴られることとインプットされた。

私は自分がおかしくなったと思い
精神薬を服用するようになり
理由はわからないが余計ひどくなった。

後は断片的に19歳迄の
途切れ途切れの記憶が残っている程度だ。

その時にただ一つ思っていたことは、
死なないように生きることだった。

しばらくして精神薬をやめて
食事療法に切り替えた。

30過ぎた今でも目を醒ますと
先ず死んでないことを確認する。

過去の記憶に引きずられる。

今日も生きている良かった。

ただ、生きた人間は信用できないので

心理学を学ぶようになった。

相手が怒っているときは
どんな対応すればいいのか
相手の感情に合わせて
人と話すようになった。

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