映画を観た記録68 2024年3月20日    フレデリック・ワイズマン『ボストン市庁舎』

Amazon Prime Videoでフレデリック・ワイズマン『ボストン市庁舎』を観る。
4時間34分の超大作ドキュメンタリー映画である。
本作品の良いところは、ドキュメンタリー映画にありがちな説明テロップがないことだ。ボストン市長が最初に写りだされて、ボストン市長マーティン・ウォルシュというようなテロップはないのだ。ボストン市長は、自分でそう名乗るので、誰が市長かわかるのである。行政職だから、私は市長だと名乗るのは当たり前のことである。ボストン市長は、市政は、ボストン市民のためにあるときっぱり断言している。様々なプロジェクトは市民の為にあり、企業のためとか、権力欲のためではない。様々な会合が行われる。気候変動、障害者、移民、男女賃金の格差、大麻ショップの企業誘致の会合など、多くの会合が行われ、議論はなされる。
本作品でわかったことの一つに、多様性は入れ替わるのだ。男女賃金の会合では、人種が多様性に存在する、障害者の会合では、人種、男女という多様性になる。多様性は入れ替わるという言い方では伝わりにくいのだが、固定化はしていないのである。
議論は白熱化し、日本の誰かさんのように「答えを差し控える。」などというふざけたことをいう者は誰もいない。皆、真剣に耳を傾け、討論する。大麻ショップの中国系の出店者は、住民説明で、「答えを差し控える。」などと答えない。真剣に返答する。住民も安全が確保されなくなることを正直にぶつける。
ここでは、議論で排除はない。誰もが、誰かの意見に耳を傾けている。誰かが話している方向へ、顔を多くの人々は向き、頷いたりして反応があるのだ。
誰もが、自由に話し、話している人間に顔を向け、耳を傾ける。
意見の排除はない、上下もない。
それが民主主義だ。
ボストン市長は、人種間の不平等を撤廃し、ジェンダー平等を目指し、LGBTQの権利を向上させる、と言い切っている。
だが、懸念材料があり、マーティンが市長のころは、ワシントンは大統領はトランプであり、トランプが行う分断政策が確実に市政にも悪影響を与えていることだ。その逆境の中、ボストン市長マーティンは宣言する。「ボストンから国を変える。」
フレデリック・ワイズマンの『ボストン市庁舎』は市民と市長、行政職が懸命に民主主義を実現しようとしている「正」の側面を強調しているから、「負」はないのはおかしいという人はいるだろう。しかし、この映画はドラマチックな構成の映画ではないから、「負」を描く必要もないのである。
民主主義を学ぶためには、全世界の市民に見せるべき映画だ。
特に子供に見せたい。

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