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日番と給食係が息子にもたらしたもの

うちの小4の息子は弱メンだ。
家で親に怒られたらすぐに別の部屋に立ち去ってひっそりと泣いている。姉に悪口を言われたら、言い返しながらも涙目だ。いっしょに暮らしているネコが悪さをしたから僕が叱っていたら、ぐすぐす聞こえるので振り返ってみたら泣いていたこともある。

そんな悪さをするネコは、息子が大好きだ。家の中ではいつもくっついているし、学校から帰ってきたらどこからともなくふらりと現れる。もう一匹いる16歳になる老ネコもそうだ。隠れて泣きべそかいてる息子の様子を見にいったら、だいたい横に座っている。

3歳下の弟に泣かされることだってしょっちゅうだ。Switchを返してもらえないと泣きべそをかき、ゲームのデータを消されたと泣き、レゴを投げつけられては泣いている。そして弟を小さく小突いて親に怒られて、また泣く。

そんな息子は、学校でも泣く。泣いた日は先生が心配して家に電話をしてきてくれるが、僕らも慣れっこだから、先生と笑い話をして電話を切る。

クラスでもけっして目立つことはせず、静かに過ごしているようだ。参加日で手を挙げているところは一度も見たことがない。数少ない友だちはみんな優しいタイプの子たちだ。それはそれでいい。友だちがいるだけで安心だ。ありがたい。

そんな息子が昨日、夕食でおもしろいことを言っていた。3学期が残り3日となったこの日、クラスの日番だったみたいで、最後に順番が回ってきてうれしかったそうだ。

それを聞いて少し驚いた。
人前に立つと言葉が出なくなるところをこれまで何度も見てきたからだ。だから授業の始まりと終わりで号令をかけ、朝の会と帰りの会で司会をするのは、彼にとってうきうきすることではないと思っていた。

不思議に思った。そして、3日ほど前、息子が給食が終わる日を気にしていたことを思い出した。3学期は給食係を務めていた。給食係は朝の会でその日の献立を読み上げ、アレルギーのある人の確認をするらしいことはそのときに初めて知った。

はじめは何も思わなかったんだけど、日番がうれしい話を聞いて、点と点がつながった。

息子は、役割としてクラスみんなの前で話したり、説明することは楽しいのだ。授業中はけっして自分から手を挙げて話したり、積極的に友だちに話しかけるわけではないが、日番と給食係という役割を、こよなく愛している。

たとえ受け身だとしても、役割が、ふだん自分からはできないことを、自分にさせてくれる。役割が、息子がみんなの前で話すチャンスをくれているのだ。そして、その役割をとおして、息子は自分がクラスの一員であることを実感できている。

給食係がどんなことをするのか話を聞いていたとき、息子は誇らしげだった。アレルギーのある友だちのことをクラスみんなで理解しなければならず、けっして間違えてはいけない大切な仕事なんだと、鼻をふくらませて語っていた。

自分の役割を重要なことだと考えている。その役割を通して、クラスのみんなの役に立てていると実感できている。それが息子の3学期だったのだろう。

今日、通知表を持って帰ってきた。そこには社会科のグループ研究のことを取り上げて、「苦手なことから逃げずに対処する方法を見つけられる姿が頼もしかった」とコメントが書かれいた。息子は、きっとこの3学期に何かに気づき、何かを得たのだろう。

日番と給食係。
誰かにとってはなんてことのないことかもしれないけど、息子にとっては特別だったのだ。役割によって子どもは、人は、誰かの役に立っていることを感じることができ、それによって自分の居場所を感じ、それまでできなかったことができたり、いままで踏み出せなかった一歩を踏みしめるのだ。

5年生になったら学級委員に、なんてことはないだろうけど、また小さくてもいいから、自分の役割をみつけてくれたらいい。

そんなことを思う、3月25日の終業式の夜。


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