見出し画像

イオラニ宮殿に学ぶハワイ王朝と日本の関係【大人の自由研究2】

2023年7月上旬オアフ島にお邪魔する機会があり、せっかくならとホノルルまでバスに乗って「イオラニ宮殿」に行ってきました。
お恥ずかしながら「カメハメハ大王は知ってるけど」状態ではじまり、「米国 唯一の宮殿」のセリフに釣られて訪れました。
見学してみると思った以上に内容が濃く、日本とご縁があることが分かり、noteを残したくなったのでした。ということで8月最終週になって【大人の自由研究2】をあわてて公開です。

びっくりポイントその1:当時の最先端宮殿

竣工は1882年(明治15年)なのに、その充実の設備に驚かされます。

  • 水洗トイレ

  • 水とお湯の出るシャワー

  • 配膳用エレベーター

  • 電話

  • 電灯(1887年)

当時の最新設備が充実な宮殿内

同年に日本の皇居やバッキンガム宮殿にも電灯は設置されたそうですが、それに先んじて灯されたのことです。当時、着々と王族の権力を奪いつつあった米国のホワイトハウス(1800年竣工)よりも早かったというのですから「王様の新しもの好き」だけではない意図があるようにも感じられます。

びっくりポイントその2:王様の世界一周旅行

7代目ハワイ国王 カラカウア王は、1875年に互恵条約を結び、当時の主要産物となった砂糖の輸入関税の撤廃に成功します。この時に蓄えた財をイオラニ宮殿の建設費用(当時で36万ドルとも)にあてたのでしょうか。(真珠湾を米国に明け渡すことになったと酷評されることも。)
そして1881年イオラニ宮殿の完成を待たずして、約10か月弱の世界一周旅行に出ます。

来日した初の国家元首

カラカウア王が初めて訪れた東洋の国はなんと日本!
日本にとっても初めて国家元首級の来日でした。
そしてお忍びで赤坂の明治天皇に会いに行き

  • ハワイへの移民の要請(労働人口確保)

  • 日本皇室とハワイ王室の縁戚関係の提案(東洋諸邦同盟構想

などを掛け合ったというのですから、とんでもない戦略家です。
他にも来日のエピソードが当時の白人の従者によって綴られ、書籍化されているというので、ちゃんと読んでみたくなりました。

エントランスホールには歴代王の肖像画の他、菊の御紋が入った壺も見られました。

びっくりポイントその3:女王幽閉の間

病死したカラカウア王の後を継いで八代国王となったのは、妹のリリウオカラニ女王でした。
カラカウア王が1887年に銃を突き付けられ王族の権利を抑える憲法に合意させられたことを受けて、リリウオカラニ女王はさらなる改憲に取り組みますが、議会は親米派に占められ退位させられます。
加えて王政復古の武装蜂起に加担した疑惑をかけられ、宮殿の小部屋に幽閉されたのでした。
この宮殿は王朝終焉の場でもあったのでした。

幽閉されている間に作詞作曲されたのが「アロハ・オエ」だったとも言われています。(諸説あります。)
背景を考えながら訳詞を読み聞き入ると涙が出そうになります。

幽閉の間の隣に展示されたキルト(クレイジーキルトと呼ばれるデザイン部)
カラカウア王とリリウオカラニ女王はハワイ文化の復活にも注力しました。

共和国新政府からの祝砲を拒否したのは日本の東郷平八郎

女王退位の後、新政府がたち上げられます。
すでに日本からの移民がかなりの数を占めていたため「邦人保護」を目的として、東郷平八郎が艦長を務める巡洋艦「浪速」とコルベット級「金剛」がホノルル港に入りました。

新政府は「祝砲」を要請しましたが、その経緯を知ってか、過去のハワイ王室との交流も考慮してか「住民を危機にさらす暴挙である」と声明を出してこの要請を断り、睨みをきかすかのように米国艦ボストンに横付けしたという東郷平八郎のエピソードがあったのを知りました。
(バルチック艦隊戦で歴史的勝利する前の東郷平八郎の有名なお話の一つだそうです。)

脚色もあるかもしれませんが、国家として対等であろうとした日本を表しているなと思いました。

勝手に相関年表

興味深い内容だったので、ハワイ王朝と日本の対外的な動き(有名な国内イベント含む)を重ねて年表にしてみました。

作表はじめたら一枚で終わらなかったので2枚になりました。
前半は主に歴代カメハメハ大王と江戸時代をリンクすることになりました。
白檀で財を成し、白檀を取り切ったら、捕鯨と補給基地として成り立った時代です。
後半は日本もバタバタの時期の明治元年からのページになりました。
ハワイでは捕鯨が下火になり、砂糖プランテーションに産業が移っていきます。
イオラニ宮殿が盛者必衰とも言える末路に向かう時代です。

日本史の幕末~明治は私にとって苦手な時代なのですが、ハワイ軸でリンクさせることで学びなおすチャンスになったような気がしました。

勝手にハワイ王朝と当時の日本について考察

  • 西欧にならった専制君主制⇒立憲君主制流れはどちらも似ている

  • ハワイの王様は「商売上手」だけど「孤軍奮闘」系?

  • ハワイの王族は若いうちから留学していて自ら動くタイプ

  • ハワイ文化は王族によって復活・継承された歴史があった

  • 日本には統治者に変更があったが統治されてきた歴史があった

  • 日本は鎖国を含めて外国の影響を一定に抑えられる状態だった

  • 日本には早くから文字が普及しておりブレーン人材が豊富だった

と、勝手を述べましたが、ハワイに気軽に行ける今があるのは、先人たちが築いてきたものの上にあると強く思いました。

英国人クックが友好の印として渡したユニオンジャックと8島を表す8本のボーダーから成る旗は、今でもハワイの州旗として掲げられています。独立国として掲げられるはずの旗が、最後の女王の退位の6か月後にハワイ共和国の旗となり州旗となる気持ちは…きっと複雑だったでしょうね

勉強させていただいたサイト

↓世界史としてまとめられていました↓

↓前編・後編で今回取り上げた内容を包括的にまとめられています↓

どちらも読みやすいので、最初からコレを読んでおけばと思われるかもしれません(苦笑)

見学の仕方メモ

色々なサイトもありますが、私自身はどうやって見学したかをメモしておきます。ご興味あればご覧になってみてください。

事前予約必須

私はJCB優待を利用するために、まずはワイキキのラウンジを訪れました。
サイトには20時までとありますが、前日に行ったら18時までということが分かり、再チャレンジです。

ラウンジではクーポン番号が発行してもらえるので、ラウンジ内のPC(または自分のスマホ)から専用サイトに移行し、個人情報や予約希望時間などを入力していくことで予約できます。英語が苦手でもフォローいただける感じでした。

割引があるのはありがたいとでしたが、あの保存状態の維持を考慮すると、6ドルぐらいはケチらないで、見学すべきだったなとも思いました。

履物に注意

建物内に入る前にテラス部分でフットカバーを付けるように指示があります。これに穴が開いてしまうようなヒールのある靴は不適です。

サンダルでも付けられるならOKですが、床の上では滑りやすいので注意が必要です。

音声ガイダンスはコードレスホンのよう

フットカバーを付けて待っていると、音声ガイダンス用のコードレスホンのような機械が配られます。番号を選んで言語を選べて、各場所では番号を選んで説明を聞き進めていきます。
(ここまでの説明は英語なのでガンバってヒアリングです。)

少し高めの公式ガイドが案内してくれるツアーもあるみたいですよ。

画面は小さいですが当時の画像などが表示されます。
肩のシールは隣の建物で受付した時に渡されます。

さいごの最後にひとこと追加

イオラニ宮殿は神聖な場所です。

ハワイの歴史と文化への理解をもち、先人に敬意をはらって(可能ならば予習して)見学させてもらいましょう。南国で開放的な場所のど真ん中にあっても、陽気すぎて大きな声を出す人・騒ぐ人などは一人もおらず、ルールを守って皆さん静かに見学していました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?