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ポジティブ狂いしている。僕がポジティブになったのは、お陰様の連続で人生が続いている。

よく「何でそんなにポジティブなんですか?」と聞かれるので、今回はそのお話をします。
気がついたらどんなことでも大したことのないことをポジティブに変換する能力が高くなったみたいと言うのが正直なところですが、、、

ではなぜ僕がこんなにポジティブなのか?を紐解いていきましょう。
もはやポジティブ狂いだと思うw

実は幼少期の8歳くらいが一番ネガティブだったと記憶しています。
小学2年生で既に100点が取れなくなっていた柴田少年は苦しんでいました。おそらく問いに「問い」で回答していたのでしょう。こんな感じ。
Q「この問題を答えてください」
A「なぜこう言う問題になるのか?」「いろんな感情があります」みたいな解答を出していたと思います。
特に国語はひどかったように思います。
そして学校の帰り道のトンネルで100点を取れないことに落ち込みながら歩いています。

しかし、ここで逆転の発想です。
ネガティブでいるのが辛いので、通り過ぎる車のナンバープレートを見て四則の計算をしていました。0になるか素数を導くまでやっていたのを覚えています。(だいぶ変わった行動ですね。)
僕のここでの心理状態は「辛いことを永遠に考えてもしょうがない」のでポジティブになる為にその時を忘れるが如く、切り替えるために暗算していました。お陰様で暗算が好きになりました。

その後も涙で枕を濡らしたこともあるような記憶も多少ありますが、特段うつ病などにもなることはなく、10代~学生時代を過ごします。思い返せば、いつも大きなことではないが、何かしらに挑戦できるフィールドがあったと思います。そこは母に感謝しています。(一人っ子で何でも自由されてくれた。)これは母のお陰ですね。

21歳の時には「何者になりたい?」と聞かれた時に答えれないのが悔しくて泣いたのを覚えています。前に記事を書きました。これは隣のおじさんのお陰。
https://note.com/delpiero0121/n/n5463f8cc21ac

20代のキャリアは自分の*向いていることに向かって挑戦して来ました。
*向いていることは、自分の好きなことを分析し、社会にどう生かし、繋げ
て行くか?

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少し話は変わって、ここもよく聞かれるので、、、
好きなことばかりやっているので、同世代と比べてあまり稼げていません。
(サラリーマン時より、労働時間は長いです。しかし、幸福度は上がりました。)
最近、好きなことをやって食べていこうと風潮もありますが、それを達成するためには、自分を知り、何倍も努力や葛藤が必要だということを敢えて、若者に言っておきます。
という、おじさんめいたことはこのくらいに、、、
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話を戻して。ここからがキャリアの話。
サラリーマンになり、向いていないことも発覚しました。これも向いていないことを気づかれてくれた前の上司のお陰。

鎌倉に来る前にBRUTUSの「鎌倉にひとり友達を作ろう」を読まなければ、鎌倉に来ることもなかったので、マガジンハウスのお陰。

鎌倉に来て、友達がたくさんできたのはカフェ鎌倉美学のお陰だし、今の仕事のきっかけを作ってくれたのもIPPOMEでシェアハウスマネージャーをやらせてもらったお陰だと思います。

最終的に人が好きで、人の話をよく聞くようになり、世の中の皆さんの悩みを聞かれていただいているお陰で、これだけイベントも生まれています。
ここには柴田家のおばあちゃんの名言「どんな人にも優しくしなさい」と言う家訓のお陰だと思います。縦糸の偉大さを最近は痛感しています。

僕のポジティブ狂いを過去の皆さんのお陰。
これからもこのお陰様の連続で成長させていただき、皆さんと課題解決に繋がる対話を繰り返しながら、孤独を減らしていきたい。

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