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マハーバーラタ

仏教関連で梵字はなんとなく知っていましたが シャクンタラーやマハーバーラタは知りませんでした。Twitterのフォロワーさんがインド哲学に詳しい方だったので TLに現れるその方のツイートを見て知るようになったのが 9年ほど前です。

ゲーテやベートーベンもインド哲学に影響を受けたらしいということで 昨日 バガヴァット・ギーターを入手しました。
その方にも教えてもらっていたのですが 上村勝彦訳のマハーバーラタは入手困難なのは今も同じで とりあえずすぐ手に入るギーターと 今日はシャクンタラーを入手。

18世紀にヨーロッパに紹介されたインド哲学の影響からか 物理学者たちがほぼサンスクリットを学んでいたと記憶します。それを調べている頃から サンスクリット語が量子力学となにか関連あるのかなと思っていました。

松岡正剛さんの千夜千冊に
古代社会で論理や論理学をつくりだしたのは、おそらくギリシア人とインド人だけだった(理由はよくわかっていないが、ギリシア語やインド語の形成過程に関係があるのだろう)
1645夜 『インド哲学 七つの難問』 宮元啓一 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

とあるのを読んで 言語と認識とアカシックレコードの関係を考えています。フェニキア文字がその元かもしれませんが 論理や論理学を構築していった言語というのがポイントな気がしています。

聖書によれば ひとつの民 ひとつの言葉であった人間が バベルの塔を建て始め都市を建設したことに 人間の傲慢を見た神が 言語をバラバラにして互いの意思疎通をはかれないようにしたとあります。

知識の木の実の一件もそうだったように 神は人間の早すぎる欲望というのを必ず打ち砕きますね。全地に人が満ち溢れるようになる前に ひとつの言語でまとまって一致団結しようとしたことが 傲慢ということらしいです。

ハイゼンベルクについて何人かの文章を読むうち気づいたことがあります。書かれ方が分かれるというのか 書く人の思想によるのでしょうが 信仰があるかないかの違いで分かれるのだと感じました。

詩になるかならないか 認識になるかならないか それは信仰を認めるか認めないかの違いに帰結するという気がしています。