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科学史学におけるインターナルとエクスターナルアプローチについて

『バシュラール 科学と詩』の著者の金森修氏は、2016年に61歳でこの世を去られたそうです。この本が出版されたのは1996年ですが、その頃においてもバシュラールは日本でそれほど読まれてはいなかったそうです。最終章の最後は次のように書かれています。

バシュラール哲学はまだ〈可能態〉のなかに眠ったままだといえる。もしこの小さな本がより充実した〈現実態〉の開花に向けての多様な歩みを誘発する刺激剤になりうるとすれば、私の任務は終わったも同然だ。後はただ規模でも深さでも本書を越えるバシュラール論が書かれること、そしてバシュラールを受けた包括的哲学や詩学が構築されることを願うばかりである。

 わたしがバシュラールを知ったのは、12月10日の博士のあるツイートからでした。時間についての博士の自問のようなつぶやきが妙に気になって検索すると、Wikipediaの記事に、ベルクソンは時間を《純粋持続》、ガストン・バシュラールは《瞬間の連続》としたとありました。

わたしには聞覚えのない名前でしたが、科学哲学と詩学でも有名らしいことからとても興味を持ったのでした。なぜなら11月20日の授業で、「詩として聞いても、いいでしょう」と、イデア論を詩のように鑑賞することを博士が認めてくれたばかりだったので。

金森氏によると、バシュラールの科学論は社会的視座が欠如しており科学哲学は質量、時間、空間などの基底概念の、理論変換時における内包の変化の分析を主軸とする、典型的な内在主義的アプローチ(インターナルアプローチ)にあたるそうです。

アインシュタインやプランクのことを語るときにも、決して彼らが当時どのような社会状況のなかで働いていたのかなどという分析をすることはない。

ところがその後の科学史学は、外在主義的アプローチ(エクスターナルアプローチ)、つまり科学社会学的傾向を持つ研究が主流になっていきました。

科学者集団と政治の関係、資金調達や金銭的報酬と科学知識とがもつ関係、研究目標の設定時における科学外的要因の介入の分析などという問題群が、その枠内で検討されることになるだろう、とのことです。

内在主義的傾向はエピステモロジー自体がもつものだともいえ、そのためにフランス系の科学史学は世界的にみて現在(*1996年)若干孤立した感があるとのことです。

バシュラールの著作とその評価について不一致なところ、そこがまた悩ましくもわたしが魅惑される点でもあります。引用の太字はむずかしい言葉ばかりになってしまいましたが、これが内在主義的アプローチを語ることの難しさなのかと思いました。