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9・11はどこへ

今年も9月11日を迎えた。あらから18年。当時ワシントンDCにいた私はまさにテロに巻き込まれた。突然現れた軍人に命令され避難をし、信じられない瞬間をテレビで目の当たりにし、そしてテロの標的となった街はパニックとなった。

その日の出来事やその後の街の様子などは、本に書けるほど鮮明に覚えいる。今もあのことは忘れることはできない。だがあの日のことを思い出して多くを語る気になれないのも本音だ。もちろんあの映像は二度と見たくない。忘れることはできない出来事ではあるが、思い出したくない出来事でもある。

あの惨劇の後、アメリカ国内では様々な議論がなされた。
アメリカが変わる、世界が変わる、アメリカが一つになる、アメリカ自身が原因だ・・・
などいろいろな意見が出てきたが、国民の共通認識として、アメリカは敵と戦い、そして勝ったということが全面に押しだされた。現代アメリカ史において大きな転換点となる出来事だったのだが、今思えばアメリカのお決まりのストーリーになってしまったのだ。

だがあれから18年、アメリカではあの911は色あせていると感じた。当然9月11日は追悼イベントなどはあるが、当時のことをあまり多くは語ろうとしないのだ。惨劇のシーンは今や放送禁止になり、その時活躍した人々はもう表には出てこない。あの日のことは思い出したくないのか、それとももう終わったことなのか。

911を端に発した中東での戦いは結果泥沼となり、戦場で命を落とした兵士の数は4000人を超えるともいわれている。事あるたびに敵国を見つけ出し、正義の戦争を起こし世界に君臨するというストーリーを作ってきたこの国にとって、今やこの戦いは汚点とされている。この戦いを大々的に非難した人間が今や大統領である。なんという皮肉だ。

今アメリカにとって、世界での正義は大した問題ではないのかもしれない。
アメリカの敵は自分自身なのだ。国民が戦う相手はアメリカ人になってしまったのだ。自国至上主義を究極まで貫いた結果、国の力を落とすことになるとは思っていなかっただろう。911は自国の真の姿を浮き彫りにしてしまったのかもしれない。

やはり911がすべての発端だったのかもしれない。
今一度、追悼と共にアメリカの今を憂う。