グッバイ、マイ・ファースト・1K

 先日、初めての一人暮らしの家を出ていった。大学と大学院の6年間を暮らした場所だ。晴れの日も雨の日も、コロナ前も緊急事態宣言が発出されたときも、常に生活を続けてきた家だ。そんな思い出の塊からついに出るときが来た。

 いざ一人暮らしについて振り返ろうとすると、どうしてもこの家の悪いところが最初に浮かんでくる。
 一番は壁が薄いことだ。冗談抜きで隣の家の話し声が微かに聞こえていた。会話程度の音量では、あ、内容は聞き取れんけどなんか喋ってるわ、そんな音が聞こえてくるくらいだ。だが、それ以上の声量を相手にすると、その壁はもはや音を遮る能力を持たない。ワールドカップのときはすごかった。2018年のとある試合、日本代表が得点を獲得したときだ。興奮のあまり狂喜乱舞し、有頂天となった隣人の雄たけびが壁を貫いて届き、レポート地獄で徹夜気味だった僕の安眠を妨害されたことがある。深夜3時のことだ。隣の部屋の声に起こされるってマジであるんだ、と心の中で軽くウケたのち、いや笑えないわ、疲れてるわ、と思い睡眠を求め瞼を閉じた。
 他にも3度の雨漏りや、駅から少し遠いなど不満は多少あった。だけど、そのまま6年間ずっと住み続けたのは、言うほど悪くもなかったからかもしれない。

 一人暮らしをすることが決まったのは大学進学を志した瞬間まで遡ることになる。それは大学からは独り立ちするぞ、あるいは遠い場所にある憧れの大学へ行ってやるんだ、といった前向きな決意があったからではなく、実家から通える大学が無いから一人暮らしをするしかないという半ば強制的な理由であった。そんな条件下にいながらも、僕は実家にて家事を全く手伝わなかった。そのため、絶望的な新生活を送ることが予感されていた。一人でも生きていけるのか、そんな不安がどこか心の片隅にあったはずだ。

 しかし、僕にとっては一人暮らしは楽しみでしかなかった。それは実家の環境によるところが大きい。
 実家には自分の部屋が無かったのだ。自分の部屋のない生活はどのようなものか、経験したことのない方に向けて僕の実例を紹介しよう。各自の部屋がないと家族全員は生活の大半をリビングで暮らす。それは僕も例外ではない。例えば、動画を見るにも、勉強をするにも、こうやってPCで文章を書くにも、家族がいてテレビが流れているリビングでやるしかない。実際、一時的に実家に帰ってる今も、そのリビングでこの記事を書いている。家族に対してプライバシーが守られないこの環境は、高校生の自分にとって少なからず苦痛を与えていた。当時は軽い反抗期だったので、家族ともあまり話すこともなく、一人の時間がほしいと強く思っていた。
 そのため実家を出たときは、一人暮らしを始めるというよりは、自分の部屋がついにやってくるぞ! という感覚の方が近かったのだ。自由に時間を使える、好きな時間まで夜更かしできる、好きな時間に外出ができる、YouTubeをイヤホンなしで見られる、パソコンを遠慮なく使える、カップ麺やコンビニ飯で食事を済ませられる、それを作るときに液体スープを容器に入れたあと、袋についたものをなめても白い目で見られない。ほかにも今思いつかない些細なことも含めて生活の色々にウキウキしていた。家事や勉学は大変だったが、それは楽しい毎日を始めていった。
 また、実家では人を家に呼ばないというルールがあった。何故こんなルールがあったのかわからない。幼いころはそういうものだと思っていたが、大人になるにつれて、誰かを家に呼んで一緒に遊ぶことを一度でいいからやってみたいという気持ちになった。一人暮らしを始めるとその夢はすぐに叶った。入学した年の4月のうちに、仲良くなった学科の友達を、空き時間に家に呼んだことを覚えている。授業のことなど他愛もないことを話していたが、それ以上に念願のことができてとても嬉しかった。

 一方で、初期は親の存在も強く残っていた。一人暮らしを始めたころは、心配した親が家に頻繁に訪れていた。その都度、洗剤はともかく、カーペットやラックなども親が勝手に持ってきたり、買ってきてくれたりしていた。もちろん当時から有難いことだなと思っていたが、家を見渡すと自分以外の他人が揃えたものばかりで、自分の家なのにまるで自分の家じゃないと錯覚した。また、自分でモノを買いたいのに、このように自分で買う必要がないため、買い物をすることへのモチベーションも知らぬ間に下がっていた。結局、高いものや運ぶのが大変なものは買い替えることもなく最後まで使い続けた。
 そんな部屋で暮らしているうちに、音楽やデバイスへの興味が増し、CDやラジオ、エレキギター、Amazon Echoなどの嗜好品が増えていき、次第に真に「僕の家」になっていった。時がたつと親が来ることは少なくなったが、それでも何度か訪れたことがある。その時にこれらを見てなんと言うか不安に思っていたが、「新しいものが増えている!」と笑ったり、「(Echoを見ながら)これアレクサって言ったら反応するの? うわ、光った(小声)」と楽しんでいるのを見て、ああ、もっと早くから自分の趣味を家族に晒してもよかったんだ、と思った。

 生活や大学にもすっかり慣れ、自分の家になっていった三回生あたりから、一人が寂しくなることが多くなった。四回生でコロナ禍がはじまり、これが頻繁に訪れるようになった。一般にホームシックは3か月後に訪れるようだが、僕は(重くはないが)数年たって初めて現れた。最初は一人でいることの楽しさしか見えなかった。新しい世界への興奮で見えなかった孤独の寂しさが、時間差で牙を剥いたのだ。人とあまり会えなくなったことで、ようやく人と関わることの大切さを知った。一人で生きていくのは簡単ではない。慣れていくだけのものと思っていたがそうでもなかったのは、当時はすぐに理解できなかった。
 寂しさのおかげで、親のありがたさを深く感じるようになった。めんどくさがっていた帰省も、この頃は喜んで帰るようになった。実家では家事をしなくて良い分、その余裕でぼーっと自分の生活を省みることができ、より良い一人暮らしの形が見えてきたりするのだ。こういう意味でも帰省はするべきなんだと僕は感じている。

 今まで過ごした家は、6年という長い間、一人暮らしのチュートリアルをしていたように思う。家事は言うまでもないが、自分の色にしていくこと、誰かと関わること、そして独りで生きていくこと、そういった周辺のところまで成長する機会を与えてくれた。ありがとう。楽しかったよ。
 さて、次の家はどんな風に過ごしてやろうか。今度は有るものにとどまらず内装まで自分のものにしてやりたいな。カーペットとか家具とか統一感ある部屋にしたい。小物とかも飾ってみたいなあ。そのために頑張って働こうか。実家からさらに離れるからすぐに家族に会えないけど、この家のおかげで頑張れる気がしてるよ。今は。



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