考える葦

人間は考える葦である
パスカル

今でこそ、この言葉が現実味をますます帯びてきている時代だと思う。

パスカルの言葉は、人間自体は水辺に育つ葦のように弱い存在であるが「考える」能力があることにより、葦ではなく人間なのであるということを言っていると思う。

考えること。
AIは全盛でますます発展していく様相を見せているが、開発者は誰一人、AIが考えているとは思っていないだろう。膨大なナレッジのデータベースを背景に最適解を提供しているだけである。

ただ、コンピュータが出回り始めた早期に定義された「人間がコンピュータとチャットして、人間か否か判断できなかったら、そのコンピュータは思考している」という定義は、その定義が間違っている。
現時点で、人間か否かは判断できないレベルにきているが、思考しているとは思わない。私もうまく定義できないが、コンピュータが考えているとすれば、ナレッジを超える発言ができることである。

ひるがえって、思考とはなんだろうか?我々がコンピュータを凌駕している思考という能力。
何が思考だろうか。
新しい文学
新しい音楽
人を恋する気持ち
鬱になるほどの深い悩み
復讐心
名誉心

自分が気付いていないだけで、実は自分は機械だったということがあるのだろうか。

感情のまま反射して生きている人は考えているのだろか?人間なのであろうか?

AIは天国に行けるのであろうか?

AIは夢を見るだろうか?


フラれて場末の居酒屋で安焼酎を飲んだくれて泣いているAIがいたら、朝まで付き合いたいと思う。

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