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NEW ORDER~世界一売れた12インチ・シングル「Blue Monday」


83年3月7日にリリースされたニュー・オーダー5枚目のシングル「ブルー・マンデー」。英国においてニューウェイヴとエレクトロ・ポップのパラダイム・シフトが起こったのはこの曲が世界的にヒットしたからだろう。

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Engineer – Michael Johnson
Engineer [Assistant] – Barry Sage, Mark Boyne
Mastered By – Pounda
Producer – New Order

81年にデビューしたニュー・オーダーとその原型だったバンド、ジョイ・ディヴィジョンと「ブルー・マンデー」に関するストーリーはもはや説明不要だろう。「ブルー・マンデー」についてタグを並べるとしたら、マンチェスター、ジョイ・ディヴィジョン、イアン・カーティス、自殺、ファクトリー・レコーズ、クラブ・ハシエンダ、ニューヨーク詣、ディスコ〜クラブの洗礼、アーサー・ベイカー、
24アワー・パーティー・ピープルと言ったところか。気になったかたは検索してほしい。

ここでは、楽曲自体にフォーカスしたい。当時、彼らはエレクトロニック・サウンドに傾倒していた。オーヴァーハイム社のドラムマシンDMXや初期のサンプラー、エミュレータ1といったエレクトロニック・サウンドには欠かせない機材を購入し実験をスタートしたようだ。バーナードとスティーブン・モリスは、おならを録音するのに何時間も費やしてサンプラーを使用する方法を学んだそうだ。

その頃に、〈ファクトリー・レーベル〉のNY支社のすすめで、アーサー・ベイカーとのレコーディングのためにNY詣をした。そう「コンフュージョン」セッションだ。そこでNYのディスコ〜クラブへ行きそこでサウンド・システムに打ちのめされたらしい。そのクラブで聴いた素晴らしいバス・ドラのサウンドを再現したかったとバーナード・サムナーは〈ザ・ガーディアン〉で語った。

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Engineer [Mix] – John Robie
Engineer [Recording] – C. Lord, F. Heller
Mixed By – Arthur Baker, John "Jellybean" Benitez
Producer, Arranged By, Written-By – Arthur Baker, New Order


彼らは、様々な楽曲の影響を受けて「ブルー・マンデー」を制作したようだ。〈ザ・ガーディアン〉の記事よると、

曲のアレンジはクレイン+ M.B.O.「DirtyTalk」(82年)からで、ビートはドナ・サマー「Our Love」(79年)、ベース・ラインはシルベスター「ユー・メイク・ミー・フィール(マイティリアル)」(78年)、コーラス・サンプルはクラフトワークの「放射能」(75年)エンリオ・モリコーネの「夕陽のガンマン」(65年)だった。つまり、元ネタありきの楽曲。様々な楽曲のピースをカット・アップよろしく組み合わせて制作されたという。

余談だが、ニュー・オーダー・ファンの間では、同郷マンチェスターのタレント(作家、放送局、講師、パフォーマーなど)だったCPリーが友人のジョン・スコットと組んだユニット、ゲイリー&ホログラムスのエレクトロ・ポップのルーツと言われているファースト・アルバム一曲目と酷似していると話題だったが、ピーター・フックは「それは真実ではありません。もしそうなら、私はそれを認めます」と〈ノーザン・ソウル〉のインタビューで否定した。

ドイツの大衆文化音楽センターが制作した〈ポップス百科事典〉に「ブルー・マンデー」の機材について解説されていたので意訳を掲載したい。

この曲は、オーヴァーハイム社のドラムマシンDMXでプログラミングされたリズミカルなスタッターと16分音符のドラム・ビートを基本に、ムーグ・シンセサイザーで弾かれたメロディー、バーナード・サムナーが自宅で組み立てたパワートランETI 1024コンポーザーでシーケンスされだベース・ラインが動き出します。ピーター・フックがシャーゴールド・マラソン6弦ベース・ギターで演奏した高音域のメロディックなリードがのり、スティーヴ・モリスによって天使のようなコーラスがイーミュー・エミュレータでサンプリングされ、ジリアン・ギルバートは最終的にシーケンシャル・サーキット・プロフェット-5シンセサイザーできらめくストリング・シーケンスを入れます。曲のクライマックスは、効果音のスタッカートと以前の音楽要素のオーバー・ダブを含む3番目の詩に続き、最終的にはエクステンデッドされたエンディングにフェード・インします。


ポップス百科事典〉で、「ブルー・マンデー」を構成するのは「クラフトワークの純粋なミニマリストのコンピューターの冷たさ、ニューヨークのダンスフロアのリズム、混乱したマンチェスター方言の情熱」とまとめていたが、ひとつだけ付け加えたい項目がある。それは、サンプリングという手法と思想の導入だ。イーミュー・エミュレータのサンプリング・タイム約2秒だったので、本格的なフレーズ・サンプリングは機材の進化とマーリー・マールの登場を待たなければいけないが、様々な楽曲のフレーズを楽器や機材で弾き直すことも、ある意味サンプリングではないか?と思うからだ。

余談だが、〈ディスコグス〉によれば「ブルー・マンデー」が世界で一番売れた12インチ・シングルで、ピーター・ザヴィルのフロッピー・ジャケットが豪華すぎて一枚売れるたびに2ペンスの赤字になったという伝説もあるが、コストがかかったのはファースト・プレス・オリジナル盤のカット・アウト付きダイカットだけで、セカンド・プレス以降はこっそり仕様が変わっており、カット・アウトなしでプレーン・プリントされたり、グレーのブロック・プリントが削除されたり、インナー・スリーヴも黒のボール紙から白い紙に変更されているので、それなりの収益はあげたのではないかとのこと。

さらに、〈ロッキング・オン〉サイトの記事によると、それは極端に盛られた話(レコードが売れるたびに2ペンスの赤字)で、そもそもファクトリーのオーナーだったトニー・ウィルソンはそういう伝説を吹聴するのが得意だったとピーターは回想していて、次のように振り返っている。

僕としては誰かしらが埋め合わせのために、価格を調節するはずだと思ってたんだ。ただ、請求書を受け取るその日までは“Blue Monday”の制作にいくらかかっているのか誰も分かってなかったと思うよ」。

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