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Funki DredとSoulⅡSoul

メキシコ南東部に隣接するグアテマラ共和国。その旧首都で世界遺産にも認定されている都市、アンティグア・グアテマラからの移民としてイギリスに渡った両親のもと、ジャジーBは10人兄弟の9番目として生まれた。兄弟の何人かはローカルなサウンド・システムのサンド・マンだったという。ジャジーBも若い頃からそのサウンドシ・ステムの手伝いをして育った。やがて彼自身もJah Ricoというレゲエのサウンド・システムをはじめた。その頃のことを彼はこう語った。

私たちは、よりグルーヴィーでメロディックなワン・ドロップものをプレイしました。レゲエのソウルフルな側面であるメロディーや歌が好きだったからです。Barrington Levyは、マイクでおしゃべりするだけでなく、歌うようにDJをしました。そのスタイルに影響されました

しかし、サウンド・システムだけでは生活ができない。彼は音楽の仕事を選んだ。

私はシンガーのTommy Steeleの元で2年間働き、Richard Toddのアシスタントになりました。1978年から'82年にかけて商業用マルチ・トラック・スタジオに関与した黒人が2人いて、そのうちのひとりは私でした」。

このときの経験とコネクションがのちに生きてくる。徐々に人気となっていったサウンド・システムをFunki Dredと名付けた。

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Funki Dredのアイデアは、ラスタと文化をアップタウンに取り入れることでした。それは、私たちが慣れ親しんでいたすべての文化的なもの、、、Marcus Garveys, Paul Bogleなど, すべての伝統な文化と私たち自身のマッシュアップを作ることだった。そして「A happy face, a thumping bass for a loving race.」というモットーを思いついたのです」。

当時(80年代中期)のイギリスでは、DJ Judge Julesの〈Family Funktion〉やNorman Jayの〈Shake'n Fingerpop〉といったレアなソウル〜ディスコ系をプレイするサウンド・システムが大人気だったが、元々レゲエのシステムだったFunki DredもR&Bやソウルへ移行しており同様の人気を博していた。それは、レア・グルーヴ・ブームの始まりでもあった。

サウンド・システムに力を注ぐべく前述の仕事を辞めたJazzie Bは、パーティーを介して様々な人達と交流していった。その中でも靴デザイナーやアート界の人々との出会いが大きかったようだ。

アート界の多くの人たちと交流しました。その結果、音楽で服を開発するというアイデアはひとつにまとまりました。私はデザイナーになろうとしていたのではなく機能的なウェアを作ろうとしていただけ。パーティーには多くの人が来てくれていて、Tシャツの話をすると買いたいと言ってくれた。そこで、メーカーに行ってどのようにシャツを作るか尋ね、私たちは独自のスケッチを描きTシャツを作り始めたんだ」。

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サウンド・システムの運営もただではできない。Tシャツだけではなく、ダブ・プレートやミックス・テープも制作販売した。そのダブ・プレートのひとつが88年に街角リリースされた「London Beats Vol.1」だ。もちろんブートレッグ。

Biz MarkieMake The Music」のインストをループさせ、当時英国のレア・グルーヴ系サウンド・システムでヘヴィー・プレイされていた楽曲をカット・アップ(ターンテーブルによるもの)した作品だ。

【Side A】

Sweet Charles - soul man.
James brown & The JB's - More Peas.
James brown & The JB's - You can have watergate.
Headhunters - If You've Got it, You'll Get it.
The Equals - funky like a train.
Bar kays - Holy ghost.
Donald Byrd - Dominoes
Fun boy three - Faith hope & charity.
Blackbryrds - rock creek park.
Full force - Alice.
Run Dmc - live at the funhouse.
Fab 5 Freddy - Une Sale Histoire (Female Version)

【Side B】

Melvin Bliss - Synthetic Substitution
James Brown - Funky Drummer
The J.B.'s - Givin' Up Food for Funk
- Hot Pants Road
- Pass the Peas
- Introduction to the J.B.'s

英国の街角リリースのはずが、どういうわけか世界中に流布された(僕は当時原宿デプト・ストアで購入した。Ultimate Breaks & Beatsとどちらにするか迷いに迷ってジャケ無しの怪しいほうを選んだ)。

88年には、「 London Beats Vol.2」がリリースされた。

その後、Funki Dredサウンド・システムが軌道に乗った。パーティーやダブ・プレート、ミックス・テープやアパレル、カムデン・レコード・ショップもスタートした。彼はこれらの全てを総称してSOULⅡSOULと名付けた。

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名前を思いついたのは、私とダダエ(幼馴染でSOULⅡSOUL創立メンバー、Philip "Daddae" Harvey。セカンド・アルバム『Vol II - 1990 - A New Decade』からシングル・カットされた「Get A Life」にゲスト・ヴォーカルとして参加)の2人の魂が一緒に動いているから。私たちは常にそのような関係を築いてきました。私たちの間で交換される言葉はあまりありませんが、起こったことはすべてとても連携しています」。

88年、SOULⅡSOULはシンガーのRose Windrossをフィーチャーしたシングル「Fairplay」を〈10 Records〉からリリースしメジャー・デビューを果たした。プロデューサーはJazzie BNellee Hooper。その後の彼らの快進撃は周知の事実だ。

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Source:Jazzie B | Red Bull Music Academy

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