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Return Of The Original Art Form

88年、国産初のDJ音楽専科〈Major Force〉は設立された。レッドブル・アカデミーの”高木完&K.U.D.O、メジャー・フォース「30年目の真実」によれば”、それは国産ヒップホップ・レーベルを立ち上げるということだったようだ。

高木完「アメリカのヒップホップ・シーンの影響を受けて、僕らは東京でやったんだけど、その頃はそういうことをやっている人たちが他にいなかったんですよ。向こうのものをまるっきり真似をするのではなく、少し違ったことをしようって」
K.U.D.O「そこは少し日本を意識したというか、俊ちゃん(中西俊夫)の感覚だとかも入ってきていたと思うし、ヒップホップと言っても最初は間口がすごく広かったと思うんです。今はヒップホップに関しては、こういうビートで、こういうサンプルを使って、こうあるべき、っていう保守的な感じもあるけど、当時は決まりなんかまったくなかったからね。自由にやっていました」

タワー・レコードのインタビューで中西俊夫氏はこう語った。

中西俊夫「〈Major Forceという〉レーベルを作ろうっていう話になって(藤原)ヒロシと(高木)完ちゃんに声かけてはじまったんだけど、ちょうどレコードが廃れはじめちゃった頃だったんだよね。CDにバーッと変わっちゃった時期で、各タイトルにつき2,000枚ぐらいしか売れなかったみたい。時代に逆行しちゃったね。音楽的にはMELONより〈Major Force〉の音の方がロンドンで洗礼を受けたレアグルーヴの影響が出ている」。

すでに、いとうせいこう& Tinnie Punx(のちにTiny Panxへ改名)『‎建設的(86年)』、President-BPM近田春夫)「Mass Communication Break Down(86年)」など国産のヒップホップ作品はリリースされてはいたがレーベル丸ごととなると話は別だ。純国産インディペンデント・ヒップホップ・レーベル第一号、それが〈Major Force〉、第1弾リリースは、Tiny PanxLast Orgy(88年)」だ。

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第2弾シングルは、Hiroshi + K.U.D.O Featuring D.J. MiloD.J.Mix」。

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ヒップホップ・レーベルといいながらDJにフォーカスしハウス・ミュージックを鳴らした。その理由は、藤原ヒロシ氏は、CINRA.NET"開拓者たちのマイルール 藤原ヒロシ×いとうせいこう対談"でこう語っている。

藤原ヒロシ「ヒップホップを離れた理由として、Public Enemyのようにヒップホップを黒人のための音楽としてマジメに表現するグループが出てきて、それまでのパーティー然とした感じからガラっと毛色が変わったんですよね。それに彼らは強烈ですごくカッコよかったから、もうヒップホップは僕らみたいにチャラチャラした感じの音楽じゃなくなったのかなって、ふと思うようになったんです。それで、僕はハウスに自由さを感じて流れていきました」。

このシングルA面2曲がハウス・ミュージックだった理由がわかる。しかし、B面は様子が違った。藤原ヒロシK.U.D.O.D.J. Miloによるエディット、スクラッチによるカット・アップで作られたメガミックス作品でいわゆるブレイクビーツのはしりだ。88年といえば、ディスコ界隈のDJの間でもメガミックス作品が制作されはじめてはいたが、あくまで誰かの楽曲を2次使用したものだった。それを自作として楽曲にしてしまったのは彼らがはじめてだろう。まさか、90年代に入り英国を中心にブレイクビーツ〜ビッグビーツという独立したジャンルが生まれるとは当時夢にも思わなかったはずだ。しかし、ラップものっていないインストのブレイクビーツを国産ヒップホップ・レーベルの旗をかかげた〈Major Force〉からリリースするというのはどういうことなんだろう?外野はつい余計なことを考えてしまう。その答えは、レッドブル・アカデミー”INTERVIEW: 中西俊夫"にあった。

中西俊夫「メロンのコンセプトとその後のヒップホップへの影響は、『ブレードランナー』が大きかった。それとWilliam Burroughsだ。『ブレードランナー』は最初ニューヨークの映画館で見たんだけど、外に出ても同じ光景があってすごかった。知人も出演しているというのもあるが、未来がこんな風に歌舞伎町化するのかって思った。同時に僕はビートニクに影響を受けていて、BurroughsとBryon Gysinのカット・アップにはすごく影響を受けた。David(Byrne)はアフロのあとにラテンにはまって10年ぐらいやっていたけど、僕がラテンに夢中にならずにヒップホップにいったのは、コラージュやカット・アップとしてヒップホップを捉えていたからかもしれない」。

つまり、このシングルのB面に、当時彼らの考えたヒップホップというものの本質が凝縮されている。K.U.D.O.氏は前述のレッド・ブル・アカデミー・インタビューにこう答えている。

K.U.D.O.「カットアップの手法に関しては、グランド・マスター・フラッシュに一番衝撃を受けました」。

Grandmaster FlashのDJプレイもそうだが、スクラッチのみでカットアップしたメガミックス・クラシックス「The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel」のことだろう。出自は忘れたが、藤原ヒロシ氏もこの楽曲に影響を受けたと語っていた。また、Double Dee & Stainski「Lesson」シリーズにも同様の影響を受けたそうだ。

つまり、ヒップホップにおけるスクラッチという手法(だけではないが)とコラージュやカット・アップといったアートフォームが繋がった。だからこそ、このタイトルなのではないか?「Return Of The Original Art Form」。繰り返しになるが、このタイトルにあるオリジナル・アート・フォームとは、コラージュやカット・アップという手法であると個人的に解釈している。後に、〈Mo'Wax〉からCut ChemistDj FormatDj Harveyによる再構築盤がリリースされた。もし、まだ未聴のかたがいれば、この機会にどんなサーヴィスを使ってでも聴いてほしい楽曲だ。言葉として目にするカットアップというものがなにかすぐわかるはずだから。

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