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Double Dee = File13

Double Dee & Steinskiは「Lesson 1,2&3」リリース後、ソロ活動に入っていく。

まずはDouble Dee。彼の本職は、レコード会社をクライアントに持ちラジオ・プロモーション用ジングルなど制作するサウンド・エンジニアだった。当時のクライアントのひとり〈CBS Records〉のDavit Witsと仲が良かった。ある日、彼は仕事中に無料のセックス・テレフォン・サーヴィスに電話して仕事をするふりをしながら、女性のいやらしい独白を聞いてると冗談を言った。その話を聞いてDouble Deeは閃いた。その声をネタにして曲を作ろう!と。

カシオMt-40キーボード、ローランドTR-606ドラムマシン、そして伝説のTB-303ベース・シンセを使ってビートを作る実験を始めました。いくつかデモを作りブラッシュ・アップしていった。そのデモを友人経由で〈Profile Record〉のオーナー/プレジデントだったCorey Robbinsにデモを送った。デモを気に入った彼はすぐさま契約を申し出てくれた。それはアルバムまで作るという話だった(その後、アルバムはリリースされていない)。

契約金を獲得した彼らは、デモをより良い楽曲にするためにミュージシャン、Dan Witsを雇った。彼と一緒に、新しいヤマハDX-7、Roland Juno-60、およびProphet Pro-Oneを使って、エレクトロ・ビートを完成させた。それは、初期ヒップ・ホップ〜エレクトロのオマージュだった。

その完成したビートに前述のテレフォン・サーヴィスを受話器口から直接録音した音声を乗せた。しかし、どうしても電話越しの音に聞こえない。そこで、電話パッチで編集済みの音声テープを再生し、マイクを使用して再録音した。すると、思っていたどおりの効果が得られた。

こうして完成した楽曲は、「File13 / Taste So Honey(84年)」と名付けられ〈Profile Record〉からリリースされた。DJからの反応がよくディスコやクラブでヘヴィープレイされた。その結果、84年10月6日のチャート・ウィークでビルボードのダンス/ディスコ・トップ80で38位を獲得した。余談だが、このヴォイス・サンプル+エレクトロ・ビートという手法で、のちにポールハード・キャッスルが「19(85年)」で大ヒットを飛ばした。

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※File13とは、米軍で使われていた隠語でゴミ箱を意味する。

その後、88年に12インチ・シングル「Party Line」をリリースしたが、そこにDouble Deeの名前はなかった。

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