アカデミー賞での健人くんを見て
昔、ごきげんようという番組で「僕、コンタクトレンズの2weeksをツーウィークって言うのが嫌いなんですよね。トゥーウィークスって言うんです」と話し、小堺一機と番協のお客さんの爆笑を掻っ攫っていた健人くんがいた。その番組以外でも、どんな些細な英語の発音にもこだわり、誰に何を言われようとも絶対にポリシーを曲げない姿を見て、面白い人だなぁとこれまでずっと愉快な眼差しを向けてきたけれど、先日のアカデミー賞の生中継を目の当たりにしてそんな風に見ていた自分を恥じた。「英語が喋れるわけではないけど、好きなんですよね」と恥ずかしそうに話していた青年は数年後、自分の信じる"好き"を突き詰め、本場アメリカのアカデミー賞のレッドカーペットでハリウッドスターに英語でインタビューをするという大役を立派につとめ上げた。
映画に対する"好き"もそうだった。映画館での目撃情報は定期的に上がり、雑誌やジャニウェブ、ラジオで最近観た映画の感想を教えてくれることも少なくなかった。目に見えて忙しい健人くんがいつの間にそんなにたくさんの映画を観に行っているのかいつも不思議だった。神様が健人くんにだけこっそり1日50時間与えているのだと言われても、何の疑いもなく信じるだろう。とにかく、自分の芸の肥やしや知人の出演作という義理の域を踏み越えて、彼は自らの足でよく映画を観に行っていたし、映画という文化を愛していた。だから、アカデミー賞の英語でのインタビューは、そんな健人くんの2つの強烈な"好き"が最も輝かしい形で結実した、夢みたいな光景だった。
生きていると、あるがままの"好き"を貫き続けることが年々困難になっていく。人間関係も趣味も勉強も、最初は"好き"という動力だけでひた走っていたものたちが、次第に社会による制限を受け、加工され、変質していく。"好き"を貫き続けることは社会と己との戦いであり、そしてそれは時折敗北する。そんな中で、周囲に英語の発音を笑われても英語の力を信じ抜き、映画を愛し続けた健人くんが、映画の祭典で堂々と英語でインタビューをする姿は、胸に迫るものがあった。大事なことはいつも言葉で教えてくれる健人くんだけど、あの日ばかりは黒いよそ行きのスーツに身を包み、柵からのめり出んばかりの勢いでコミュニケーションを取ろうとするその全力の姿に、貫き続けることの正しさを教えてもらった。ブラッド・ピットの背中に向かって愛を叫び続けるその背中に、"好き"を叫び続けることへのとめどない希望を見た。「いつか自分もここを歩きたい」と語った彼の夢がいつか、叶いますように。
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