『桜のような僕の恋人』
私はジム・ジャームッシュ作品のような、いわゆる"何も起こらない映画"が好きです。人々の日常が淡々と描かれていて大きなことは何も起こらないけど、視点の切り取り方次第で日常は映画に・街は舞台になる。私はジャームッシュに人々の営みはただそこに存在するだけで十分に映画足りうるのだと教えてもらった。つまり自分の好みとして何かが起こる映画や、ここが感動ポイントです!って作り手に誘導されてる映画がかなり苦手なんですね。そんな自分の趣味趣向を把握している中、"恋人が・難病で・死ぬ"という、ド非日常設定×感動ポイントフルスロット誘導の作品を観るのはかなり憂鬱でした。絶対苦手だから。口の中に食べ物が入ったら唾液が出て、暗い場所では瞳孔が開くように、人間は愛する人が死ぬと悲しいのである。そこにあるのは感動ではなく反射反応だと思っている。そういうわけで「大好きな健人くんの頑張った作品に後ろ向きな感情を抱きたくないけどもしここで嘘をついたら私の映画愛への裏切りになる…私はどんな作品が来ても絶対に素直な感想を述べる…」と、半ば緊張しながら祈るような気持ちでNetflixの再生ボタンを押しました。
で、実際見始めてから110分時点まで「ごめん健人くん…。やっぱりこれはnot for meの作品だ…」と遺書ツイートをしたためる準備をしていたんだけど、110分時点で起こるあのシーンを経て評価が変わりました。
以下、ネタバレありの心の底からの感想です。
●「ありがとう」を取りこぼした罪
松本穂乃果演じる美咲はエネルギッシュで明るい25歳の美容師。職場や家庭内の関係性も良く、そこにいるだけで場を照らす太陽のような存在だ。そんな彼女は常に周りの人への感謝の言葉を忘れない。序盤から美咲は折に触れて「ありがとう」という感謝を様々な人に述べていて、観ながら「よくお礼を言う子だな」と思っていた。でもただ普通にお礼を言うだけなら印象に残らなかったと思う。彼女のイントネーションにはある特徴があった。一般的な「ありがとう↘︎」は語尾が下がるんだけど、美咲の「ありがとう↗︎」は語尾がふんわり上がる、聞く者に柔らかい印象を与える独特の"ありがとう"だった。
そしてこれが110分の例の場面に繋がるわけです。
まだ作品を見ていない人のためにこの110分時点に何が起きているかを説明すると、早老症が進行し、出かけることすら困難になった美咲が晴人の写真展に行くために久々に一人で外出するシーンです。帰宅の道すがらに路上でこけてしまい、たまたま通りかかった晴人に助けてもらうというカットです。あの時、晴人は確かに美咲と言葉を交わしたのに、身体に触れたのに、自分が助けた人が美咲だと全く気付きませんでした。のちに美咲が亡くなったあとに晴人はあれが美咲だったと気付きめちゃくちゃ後悔します。正直、あの状態だと気付く方が難しいしそんな自分を責めるなって、と慰めたくなるところですが、彼は重大なサインを見逃してるのです。それが、美咲があの助けてもらった時に唯一発した言葉「ありがとう」です。姿も声も変わってしまってもこの「ありがとう」のイントネーションだけは変わっていませんでした。
ここで映画なら"フシギなチカラ"が働いて、これは美咲…?とピンと来たりするものですが、この作品は一切その素振りを見せなかった。私は映画のこの"フシギなチカラ"を愛していたりするんですが、この作品についてはもしその力が働いていたらお約束まみれで食傷状態になっていたので無くて正解だったと思う。お婆さんになってしまった美咲に気付かないことは、記憶の中にいる美しい美咲を美咲として捉えていることの表れであるし、美しい瞬間を切り取って生きているカメラマンへとしての誠実な描写だと感じました。残酷だけどね。
もし「ありがとう」が原作でめちゃくちゃフィーチャーされてるワードだったら何を今更…って感じでめちゃくちゃ恥ずかしい考察になるんですが、原作は未読なのでご容赦下さい。晴人が「僕は気付けなかった。ありがとうと精一杯笑ってくれたのに」とこぼしていることや、美咲から晴人への最後の手紙が「ありがとう」で締め括られているところを見ても深読みではないと信じてるんだけど。
一点、ちょっと意図がはかりかねたのがラストの描写。昔あの東京タワーで実は出会っていたという描写は作品にどういう影響をもたらすんだろう。2人が出会うのは運命だった、ということを言いたいのか?個人的にはあれ無い方が良かったな…。設定盛りすぎな気がしちゃった。
●オタク(健人担)としての感想
シンプルに演技が上手くなった!と感動した。これまでも決して下手だったというわけではなく、作品を重ねるごとに着実にパワーアップはしてたけど、健人くんの今まで演じてきたキャラクターって個性もクセもかなり強く、そして良くも悪くも"中島健人"の素が活かされるキャラクターが多かった。もはや役柄自体が中島健人役の中島健人じゃんみたいなのもままあったし(ミセコド、かのキレ等)。でも今回は"中島健人"をいったん脱臭漂白して、そこから新たな人格を付与させたんだなという印象を受けた。役作りの一環として香水を付けるのを辞めたと話してたけど英断だったと思う。晴人くん絶対香水つけないもんね。
あとオタクとして一番心臓にダイレクトヒットしたのはベッドシーンそのものではなく、その前の「俺、何も持ってない」というセリフ!!!こんなクズ男代表のセリフを自担の口から聞くなんて想像だにしてなかったから混乱して巻き戻して3回くらい聞いた。晴人くんはクズじゃ無いし、寧ろこのセリフがあることで一途さが裏打ちされたけど。
●総括
原作未読、インタビュー雑誌の類も仕事の忙しさにかまけてほぼ手をつけられてない状態だったけど、とりあえず公開初週に観れて良かったです。
カメラマンと死にゆくその恋人の物語って聞いてたから、勝手にアラーキーと陽子さんの関係性をオマージュしたみたいな作品になるのかと思いきやそうじゃなかった。結局晴人くん、美咲の写真を全然撮ってないんですよね。個人的にそこも結構ポイント高いです。人は「ああしたら良かった、こう出来たら良かった」というたらればと後悔を抱えながらそれでも生きていくしかないから。
健人くんが約3歳の年月を跨いで取り組んできたこの大作、めちゃくちゃヒットしてくれることを祈ってます!!!
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