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「1日でも早く手繰り寄せたい」~がんを治せる病気にするその日まで〜代表理事 中島ナオさん

世の中のがんに対するイメージ、認識を変えたい。がんを治せる病気にしたい。誰よりも強い想いを持つ、代表理事 中島ナオさんのストーリー。deleteCの合言葉『あかるく、かるく、やわらかく』。deleteCの世界観を創り、最高の仲間たちと力を合わせ、ナオさんは目指すべき場所へ進んでいく。

 1枚の名刺から動き出した「手繰り寄せる」

 1枚の名刺との出会いが”deleteC”の始まりだった。

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 「MD Anderson Cancer Center」
 名刺にある「Cancer(がん)」の文字が、赤い線で消されていた。これは、アメリカのMDアンダーソンがん研究センター・腫瘍内科医、上野直人先生のもの。その目立つロゴには、がんを過去のものにしたい、そんな強い想いが込められていた。

 上野先生の人柄、熱い想いにも触れ、ナオさんはこのことを誰かに伝えずにはいられなかった。「がん治療研究を応援して行きたい」という自分の想いに対して、アメリカでがん治療研究を進める医師から、「力になるよ」と背中を押してもらえたことが何より嬉しかった。大きな勇気をもらったのだ。

 ちょうどその翌日に会う約束をしていた小国士朗さんに、渋谷のカフェで、「上野先生というアメリカでがんの研究を進めている方がいてね」という話をしながら、嬉しい気持ちいっぱいで名刺を見せた。その時に生まれたのが、小国さんからの「”C”を消そう」というアイデアだった。

 がんを治せる病気にしたいという想いを示し、がん治療研究を応援できる仕組みの構想に2人で興奮したのが2018年11月。その帰り道は、次々と目に留まる様々な看板の”C”の文字に1人ワクワクしながら渋谷の街を歩いた。
 それから1年半、当時は妄想でしかなかったdeleteCだけれど、必死に走っていく中でだんだんと形ができ、共感する仲間が増えて、どんどんとプロジェクトは進んでいった。

 「deleteCのアイデアが生まれる前から『こういう風にしたい』というベクトルはありました。例えば、様々な企業さんを巻き込みたい、色んな分野の人とイベントをやりたいとか、その時はまだ言葉になっていなかったけど、『あかるく、かるく、やわらかく』みたいなイメージは持っていたのです。でも、その術というか、どうやったら叶うのかが自分の中になかった。それが小国さんのアイデアで、まるっと叶うdeleteCの仕組みになりました。実現に向けては、細かいと思われることにも、こうしたい、こうなったらいいなと、とにかくこだわって進めてきました。だから、そうして実現してこられたことは、がん治療研究に対して、思い続けてきたことや、ぼんやり持っていたイメージと大きくは変わっていないんです。ただ、思い描いていたものが形になる時には登場人物も全てが現実ですし、1つ1つの場面に感動がある。想像もしていなかったようなことも次々と起こります。バックグラウンドが異なるdeleteCの多様なメンバーと進めてきたからこそ叶えられていることの大きさを、ミーティングやイベントのたびに感じています」

 2019年2月4日のワールドキャンサーデーにdeleteCが発足してから1年後の2020年2月1日、deleteCが選考した「がん治療研究」に初めて寄付をすることができた。「がんが”治せる病気”になる日を手繰り寄せる」というゴールへ向けて走りはじめ、着実な一歩を実感している。

 想いをカタチにするdeleteC

 deleteCのアイデアが生まれるずっと前から、ナオさんは「がん治療研究に対してアクションを起こしたい」と、医師、がん経験者、その家族、そして友人に、自分の言葉で、考えや想いを何年も語り続けてきた。

 ナオさんは31歳で乳がんであることがわかり、その2年半後に再発・転移が見つかった。

 「転移してからの治療は、それまでの治療よりも不確かというか、治療期間の約束がなくなっていくんですよね。ある薬を使い続けて、1年、ああ、もうすぐ2年経つとなった時に、主治医との話の中で『この薬が、これだけ長期間効いてくれているのはすごく珍しい』という話が出て。効いてくれるのはとても嬉しい事のはずなのに、『これが当たり前じゃないんだ』とそのときふと思って、その後も考え続けました。私の中では、がんがどういう病気なのかを、あらためて突き付けられた感覚もあったんです。同じタイミングで、一緒の病気を患っていた方の死にも直面しました。誰もが関係するこの大問題に対して感じた『何かできることはある』という想いをそのままで終わらせたくない。動けなくなった時に絶対後悔する!何ができるかは分からないけど、がんを”治せる病気”にすることに向かって行動していこうと決めました」

 ここからナオさんは、本当にやりたいことに向かって加速した。副作用による脱毛に悩み続けた自身の経験から、髪があってもなくても楽しめるファッション&ケアアイテムの「N HEAD WEAR」を自らプロデュース。がん治療研究の応援という次の挑戦に向けて、今まで以上に多くの人と会い、話をする機会を作った。そんな時に巡り会えたのが上野先生であり、手にしたのがあの名刺だった。次の日には、久しぶりに小国さんと会う約束をしていた。deleteCは、ナオさんの積極的な行動が手繰り寄せたものだった。

長井さん写真

 描きたい未来を一緒に実現していく仲間たち

 2019年2月4日、ナオさんの人柄、想いに惹かれて参加した長井陽子さんと、小国さんの3人で、deleteCはスタートした。医師を紹介してもらい話しに行ったり、 参画してくれる企業を探しに出かけたりと、ものすごく大変で、でも楽しい日々が続いた。活動をしていくうちに、仲間が次々と加わりプロジェクトは加速していった。

 「deleteCの活動は日本で前例がないことで本当に難しい事ばかりなので、様々なプロがいてくれるから進められているのですが、私は肩書きや情報で『この人ならこれができるな』という考え方は持っていないんです。だからこそ見えてくるのは人柄や想い。『一緒に進めていきたい』と思える人たちが集まってきているので、『この人たちとなら、きっと実現できる!』と思っています」

 これまでナオさんは、多くの人に自分の想いを自分の言葉で伝えてきた。それに対する反応は様々だったという。「がん治療研究の応援なんて無理でしょ」「なに言ってんの」だけで終わることもあった。しかし、deleteCの仲間たちは違った。話に耳を傾けてくれる。それだけではない。真剣に考えて前に進んでくれる。

 「deleteCのみんなと話している時は、話を聞いた上で『じゃあどうしていこう』だったり『それだと、こういうところが問題だよね』と話が続きます。何か新しいことを生み出したり、今を変えていくことに対して恐れがない。前向きというのかな。だからこそ進めていけるんだと感じます。それは絶対に守って行きたいこと。もしかしたら、私自身が出来ていない時もあるかもしれないけど、自分もそうあり続けたいと強く思っています」
 描きたい未来を、一緒に実現していく最高の仲間たちがそばにいる。

 チームが覚悟を決めた日

 2020年2月1日「deleteC2020-HOPE-」でナオさんが最後のあいさつで口にしたのは「継続」という言葉だった。「希望」や「継続」という言葉は、これまでは口にしづらかったという。活動を続けていくうちに、その言葉を自然と口にできるようになったのは、ナオさんの中に起こった大きな変化でもあった。 
 「deleteCの説明のあたまには、『みんなの力で』とあります。1年、1年半と進めてきた中で、「継続」という言葉を、自分の目標というよりもdeleteCの目標として、発することができるようになりました。共有できるメンバーがいるからこそ。遠い未来を連想させるような言葉は、がんを患ってからずっと、使うことには戸惑いがありました」とナオさんは話す。

 2019年夏、deleteCの活動を本格的にスタートするにあたり、医療関係者の方々へチームでヒアリングを行っていた。そんな時、ある医師がdeleteCのメンバーたちへ問いかけた。

 「先生は『本気ですか?』という話をし始めたんですよ。『彼女が先に亡くなった時にはどうしていくつもりなの、その覚悟が君たちにある?』という意味合いのことを、私以外のメンバーに問いかけた時があって。正直、私にはきつい言葉でした。」と、ナオさんは当時を振り返る。

 新しい活動は、発案者が亡くなると止まることも少なくないという。医療現場で数多くの経験をされ、近くでそれを見てきた医師だからこその重い言葉。同時に勢いで走っていたdeleteCにとっては貴重な言葉であり、目をそらしてはいけない、じっくりと考えるべき部分だった。

 小国さんが、「続けていきます、やっていきます。」と伝えた。

 「みんなどこかで思っていたことについて、あらためて、自分たちの覚悟みたいなものを持つタイミングでだったのだなと。deleteCは、”ひとりの意思を”という話ではなく、がん治療研究を応援していく活動であり、組織である。それを確認し合えたのは本当に大きなことだったなと思います。その後、deleteCをNPO法人にし、『deleteC 2020-HOPE-』に向けても、それ以降も、常に更新し続けてきていますが、あの時に『がんを治せる病気にするその日まで続けていく』ことの意味を強く意識できたのだと思います。」

 医師からの大きな問いがあったこの日は、deleteCにとってはもちろん、ナオさんにとっても大切で重要な一日になった。

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 「あかるく、かるく、やわらかく」

 deleteCの活動指針であり、deleteCらしさを表現するのが「あかるく、かるく、やわらかく」という言葉だ。
 これはナオさんが普段、当たり前のようにやっていたことで、そのイメージを共有するために言葉にしたものだった。それはdeleteCのメンバーが、活動をしていく上で欠かせない、チームの軸と原点になっている。「”がん”に関係する活動に関心を持ってもらいたいと考えた時に、がんという言葉の持つ『暗く、重く、硬い』イメージを変えなければならない。」と、ナオさんはこれまでの経験からそう感じていた。

 「がんという言葉に対して、人って”逃げていく”じゃないけど、”触れない方がいい”という状況があると思うのです。がんだと伝えたら、友人が離れていってしまった話を聞いたこともある。今はまだ、やっぱりそれくらいのマイナスの力を持ってしまう言葉で、病気だと感じてきました。」
 「だけど、この問題を少しでも動かすには、絶対にみんなの力が必要だと思ったんです。そのためには、当事者じゃない人たちにどれだけ参加してもらえるか。関わる人たちの幅を広げた方が、絶対に大きな”力”に繋がると。より多くの人に、どうやったら気になる存在として感じてもらえるか。すると『助けてください』だけでは、続かないと思うんですよ。だから、やっぱり関わりたいと思ってもらえる、何か違うアプローチが必要で。deleteCをより魅力的な組織にしていきたい。いいなって思える世界観だったり、存在になっていきたいと思っています。」

 deleteCが新しい寄付として考えた仕組み。いつものパッケージやロゴ・商品名から「”C”が消えた」商品を買うと、その売り上げの一部が寄付されるという取り組みは、誰もが気軽に参加できるもの。参加者が「また来たい、参加したい」と思うイベントもとても重要だ。
 ”がん”のイメージを変えていくために、多くの人に興味を持ってもらうために「あかるく、かるく、やわらかく」は欠かせないものだ。

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 大切にしたい温度感

 関わってくれる人たちの温度感は、ナオさんが大切にしていることのひとつだ。2020年2月1日の「deleteC 2020-HOPE-」のイベント。

 登壇をしてもらった医師には「中学生にも伝わる言葉でお願いします」と伝えた。本番前の準備のとき。当日に使うスライドの資料を見て、誰にでも分かる言葉を選び、難しいものは分かりやすい表現に変えた。
 先生たちが、普段の学会発表では使わないようなカラーを使って、かわいらしいイラストも添えた。
 司会者が医師の紹介をする時には人柄に触れられるエピソードも加えてもらった。とにかく、初めて「がんの治療研究」に触れた人でも分かるよう、興味を持ってもらえるようにこだわった。

 「自分の治療についても、病院で聞いた話を家族に説明する時って、やさしい言葉にするというか、誰でも分かる表現を使うんですよね。手術や薬についても『こういう事なんだよ』と伝わる言葉に換えたり、イラストを描いたり、自分でやってきていたんです。診察室の雰囲気や先生の様子も必ず話します。そうすると伝わるし、そこからできることを一緒に考えられる。だから、がんに興味があるとか、がんをもっと知りたいと普段思っていなくても、関われるものにしたいという想いが強くて。専門的な知識を持つ一部の人が分かるよりは、みんなで共有できる伝え方にしたかった。距離を感じる研究分野との距離感を縮める目的がありました」

 イベントが終わると、会場からは「分かりやすかった」「伝わってきた」そんな反応がたくさんあったという。分かりやすい表現だからこそ、先生たちの熱い想いも伝わっていく。

 「研究をしている人の想いや人柄が見えてくると、自然と応援したい気持ちになるだろうし、応援したいものを、そういう視点で私自身は知りたいと思います。理解が深まることによって、研究内容だけでなく、なぜその研究を応援したいと思うのか、なぜその研究が必要なのか考えるきっかけにもなる。研究と私たちの距離を近づけるためにも、そういうことを必ず一緒に伝えていきたいです。」
 それは医療だけでなく、deleteCを支援してくれる全ての人にとっても同じだ。

 「企業さんにも参加していただいて初めて成り立つ仕組みなので、よくファンという言葉を使っています。例えば、C.C.レモンの商品情報を見ても、関わる人やその想いまで感じることはなかなか難しいかと思います。ただ、そこに”C.C.レモンのCを消す”想いを示すアクションと、deleteCに賛同して実現してくださったサントリーの方の『なぜ参加したのか?』というストーリーが添えられると、一気にC.C.レモンやサントリーさんのファンになっちゃうんですよね。応援していただける、その1つ1つの想いがどんな時でも、deleteCを動かしてくれる原動力で、私たち自身が持てる喜びになっています。」「deleteCに関わってくれる人をみんな好きになっていくんです。好きなブランドとか好きな人とか、興味あることが増えるって、毎日がちょっと楽しくなるじゃないですか。研究もそういう感覚で、気になる先生がいて、『応援している研究があるんだよね』という気持ちが持てるのは、単純にいいなと思います。だからもっと、届けて行きたい。」

 伝え方ひとつで受け取り方は全く変わってくるからこそ、ナオさんは言葉を大切にする。

 「自分ががんを患って何年も生活を送ってきた中で、目にしたり、耳にしたりしてきた情報に振り回されてしまったり、違和感を感じてきた場面というのが多くて。きっとその度に、考えてきたんです。何の違和感なんだろうとか、この表現はどうだったらいいのだろうとか。無意識でも考えてしまうくらい、ずっと考えていた。」とふり返る。

 がんの転移が分かったとき、自身が過去にデザインした「漆のお椀 hitowan」をクラウドファンディングで売ることにした。当時、SNSもあまりしていなかったというナオさん。その時初めて、自分の名前と顔と病名、そのストーリーを添えて、自分の言葉を文字にして、誰もが見えるかたちで発信した。

 「自分の言葉を届けたり、何かを発信する側になるときには、誰かを傷つけるような表現や、自分が違和感を感じる言葉を使いたくない気持ちがありました。そういう経緯もあって言葉に対するこだわりが強いんだと思います。それは”がん”という、本当に難しく、問題がまだまだたくさんある病気に関係するストーリーを、私自身もですし、N HEAD WEARも、deleteCも持っているからこそ、こだわっていたいですね」

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 やればやるだけ好きになっていく

 活動を続けていくうちに、やればやるほどdeleteCのこと、そして、仲間が好きになっていった。それは大人になってからでは持ちにくい、deleteCをスタートしていなかったら絶対にできない経験だとも感じている。
 今回のインタビュー企画では、ナオさんは全員のインタビューを聞いた。みんなの想いを知るたびに、更に心が動いた。

 「お気に入りの人やものが増えていくんです。好奇心から、どんどん気になることが増えていく感じに近いのかな。大人になった今でもその感覚をこんなに持てるって、すごい事だと思うんですよ。進めれば進めるだけ、会いたい人も、話したいことも増えて、自分の世界が広がっていく感覚がすごくありますね。」「医学の進歩により変わってきてはいるけれど、未だ”がん”という病気は、今まで取り組んでいたことが狭められていく、やりたかったことを諦めていく、という方向に傾きやすい病気だと感じています。だからこそ、それを広がっていく方向へ持っていけるのは、とっても大きいことなんですよ!マイナスに感じる変化はあったとしても、そこから何かを始められることや、”あきらめなくてもいい”と思える瞬間を持てることが、続いていく暮らしの中で、希望の種になると私は思っています」

 仲間たちの存在が今のナオさんにとっては大きな力でもある。deleteCの取り組みは、がんを”治せる病気”になる日を手繰り寄せている実感を、少しずつ確実に与えてくれている。

 「まだまだ小さいプロジェクトですが、何もしていない時と比べたら全然違います。deleteCを始めていなければ、触れることのなかった人たちと会話ができているのは非常に大きい。実際に研究を進めている先生方と、医師と患者という関係性ではなく様々な話ができること。参加企業の方が、研究の選考に関わって下さる機会もありました。そこで伝わったこと、考えてくださったことは、きっと新しい何かのきっかけに繋がっていく。その可能性が無限に生まれているだろうなという1年半だと思います」と期待を新たに抱いている。

 選択肢として頭に浮かぶ存在に

 2年目を迎えたdeleteCにとって、今は「継続」が大きなテーマだ。そのためには、多くの人に活動を知ってもらい、参加してもらい、より影響力のあるものにする必要がある。

 「選択肢として、頭に浮かぶ存在になりたいと思います」とナオさん。「がんに関して何かできることはないかと思った時や、寄付をしようとした時に『あ、そういえばdeleteCがある』、そんな風に早くなりたい」

 「急ぎたいけど慎重にしたい。少し、矛盾というか、相反するかもしれないけど、deleteCはすごいスピードをもって進めてるけど、凄く慎重だと思います。様々な検討をした結果、準備のために法人化のタイミングをずらしたり、2020年のコロナの環境で不透明だったこの数か月も、とても慎重に進めてきました。キャッチーな言葉で伝えることで、何かを否定することに繋がったり、誰かを傷つけたくない。では、その中でいかに知ってもらえるか、届けられるかが、課題です。deleteCは、Cを消すことで『がんを治せる病気にしたい』という想いを示す表現をしています。それがもし、delete Cancerを直訳した”がんを消す”という言葉だけが独り歩きしてしまうと、例え広く知ってもらえるようになっても、”本当に伝えたかった想い”や”deleteCが叶えられること”が全く伝えられていない状況になるかもしれない。難しいですけどね」

 「”C”を消していくだけではない」ということ。deleteCへの想い、関わってくれる人たちの熱意と気持ちを大切にしながら、しっかりと伝えていきたい。全速力で、冷静な目を持ちながら”がんを治せる病気”にする日を手繰る寄せるため、大好きな心強い仲間たちとナオさんは進んでいく。

 代表理事 中島ナオの想い

 31歳の時に「がん」と診断されました。
 副作用が重い治療、手術によりたくさんの失うものがあり、たくさんの変化が訪れました。
 ですが自分自身が変わってしまうわけではありませんでした。
 「がん」を抱えながらでも暮らしは続きます。
 5年で長生きと言える病状でしたが、1週間、1か月を重ね、5年以上が経ちました。
 その間には、34歳で「ステージ4」という、がんが最も進行している状態になりました。「数か月か1年後かは分からないけれど、薬は効かなくなる」という治療を今も続けています。
 「がん」は残酷で怖い病気です。
 がんを患ってから出会い、笑顔で語り合った人との別れを何度も経験してきました。
 「まだまだ生きていてほしかった」、「できることはなかったのか」という周りの人の痛いほどの思いを感じるたびに、この気持ちを形にできていたら何かが変わっていたのではないか、と思ってきました。
 がんはいつかは治せるようになると言われています。ならば、その「いつか」を待つだけでなく、1日でも早く手繰り寄せたい。
そう願わずにはいられません。deleteCのゴールはただ一つ。
 「みんなの力でがんを治せる病気にすること」です。
 探しても見つからなかった希望をつくるため、何年も叶えたいと思い続けてきた「がん治療研究の応援」を進めていきます。
 1人1人が想いを示し、行動すれば必ず、大きなパワーになる、それが、私の描く未来です。
                     2019年10月20日 中島ナオ

 協力(企画:山口恵子 文:酒谷裕 編集:徳井柚夏 市川奈津妃)

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