kornで気付いたライブで聞きたい楽曲のテンポ~誰も何もしないコラム10 skitkr
めちゃくちゃご無沙汰になってしまいました。
とある映画の記事を書いていたんですが、想像以上に時間がかかっており、小休憩的な感じでこれを書かせてもらいます。殴り書きでサクッとした量を。
部屋の模様替えと同時に読まない本を一斉に処分し、気分も部屋もスッキリ。物欲は昔からあり、そこまで読まなさそうな「2軍まっしぐらな本」でも自分の中で無理やり購入の正当化を見出し、結果、読まないで売るというループがかなり続いていたんですが、今回の処分祭後(半年前くらいに売りました)、書店に行っても購入の意欲がなくなり無駄な出費が減りました。
やっと「今、瞬間的な必要と長期間で見据える不必要」が出来るようになったなと、大人に一歩近づいた気がしました(おそっ)。
そんななか、新しい音楽を常に聴いていくと設定した年始の目標ですが、自分の通った道を再確認してからの新規獲得に向けて、振り返り歩き始めました。
そんななか久しぶりに聴いたkorn。いやKoЯn。
2000年代中盤以降の作品は聴かなくなりましたが、90年代後半からは摂取していました。
そしてYouTubeに上がってるライブ動画を観て「とても」違和感を感じてしまいました。
ライブ演奏時に原曲よりかなりテンポを上げて演奏していたのです。
「もともとある楽曲をライブではテンポを上げて演奏する」ことに違和感を感じているのではなく、「この楽曲をテンポ上げて演奏することのメリットってなんぞや?」とkornのメンバーにどつかれそうなことを思ったからです。
あくまで個人的な感じです、、、、
とりあえず観てもらいたいんですが、
原曲
で、ライブ
かなりテンポ(BPM)が上がっています。
オーディエンスがジャンプしやすいテンポに「あえて」調整したとかならまだわかります。まぁ100歩譲ってですが。
kornというバンド自体の根幹が「暗い、重い」という認識(みんなそうだと僕は思っていますし、僕もそう思っています)で、「ずっしりと病的に降りかかるサウンドをヒップホップテイストで表し、自身の生い立ちを体現したかのようなトラウマを吐き出す咆哮」にある種の歪んだ美しさや儚さを感じていました。
もちろんテンポの早い楽曲もありますが、スローな曲にスピードを足すことで得ることができる重さや暗さはないんじゃないかと勝手に感じてしまい、
「kornはほぼ原曲テンポじゃないとやだ」
「ライブで盛り上がるのはテンポアップだけじゃない」
「暗さと勢いは対義語」
とここ数日無駄に悩んでいました。。
これはkornだから当てはまるということで、他のアーティストのライブを観てテンポアップした楽曲に興奮したことは何回もあります。
もういちど言います。
これはKoЯnだから当てはまるということです。
書き始めて1時間くらい経ったのでもうやめます。
これだけ言いたかったのです。
さて、映画の方のコラムを完成させます。現在7割ほど。。。。
skitkr