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たった一粒のダイヤモンドと出会う喜び。

人が一生の間にかかわれる人とのご縁って、「単なる人数」でなく「深さ」でいえば、著名人であろうと一般人であろうと、さほど変わらないのではないか、と思う。著名人ならさぞかし沢山のご縁があるかと思いがちだけど、(数字的な意味では確かに多いだろうけれど)、誰か一人の人間と深くかかわる、という意味では、きっとどんな人でも一生に得られるご縁の量に、さほど違いはないのではないかしら?と。

宇宙のエネルギー量は一定という。増えることも減ることもない。対して、人間の持つエネルギー量は、それぞれ個人差が大きい。たとえば、あの人と一緒にいると何故か元気になる、あの人のそばにいたくなるetc・・・そんな人が周囲にいませんか? そういう人は、普通の人よりも持っているエネルギー量が高く、人は自分より高いエネルギーを持つ人と一緒にいると、心地よく感じるようだ。

☆☆☆

昨年、2020年は物質から精神の世界へ移行するギアチェンジだったのかと思う。物質と心、大事なのはその「バランス」で、そのどちらかに偏り過ぎてもいけないし、「中庸」であることの大切さ。あの松下幸之助でさえ「物心一如」を唱えていた。人は物質至上主義に向かい過ぎたのではないか、その揺り戻しが来ているのではないか、とも思う。

自分自身を「生きる」という使命に向けて奮い立たせるのは、いつも夢や憧れ、何かに「恋焦がれる」気持ち、情熱、etc.  自分で書きながら何とも青臭くて照れるけれど、我々人間が動物と違って「人間たるゆえん」は、「理想や憧れ」「夢に生きる」そんな魂があるゆえと聞いたことがある。

一人の人間が一生の間でいただける「ご縁」の深さに、さほど個人差がないように、一人の人間が一生の間で体験する「幸」も「不幸」もさほど個人差がないのではないか、そう思う。

何を「不幸」ととらえ、何を「幸福」ととらえるかは、これまた人によって差があるけれど。幸も不幸も紙一重、悲劇も喜劇も表裏一体を日頃、唱えている私だけど、それも自分の心がフラットであればこそ。心配事がある時はやはり、目の前の哀しみにオロオロするし、とても喜劇にはできないけれど。

昔、友達100人できるかな?という歌があったけれど、あれも違和感をゴリゴリ感じる曲だ。まどみちおさん、ごめんなさい。
だって友達100人も要らないよね。
ご縁と一緒で、数だけたくさんの友達は必要かしらん?

心から信頼できるたった一人を見つけること。
たくさんの原石の中で、「みんなにとって」でなく「あなたにだけ」光を放つダイヤモンドのような友を見つけなさい、たった一粒を見つけなさい、と私なら言うわ(うむ)。





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