『こんな夜更けにバナナかよ』からの子育てを考えた

ノンフィクション作品『こんな夜更けにバナナかよ』が映画化されました。

ずっと図書館で予約をしていたこの本を年末借りることができ、早速読んでみました。

うわさに聞いた通り、うーーーん。深く、深く考えさせられます。

息子が発達障害ということもあり、「福祉」、「障害」は私の中でアンテナが立つキーワードです。

障害の面からこの本を語ることもありなんですが、私は「子育て」、「育児」の面から書きたいなと思いました。

大まかな本のあらすじは、映画のHPや本の紹介文で確認いただいてから、以下を読むといいかもしれません。
(ネタバレなしにはしたつもり)

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24時間介護が必要な難病の筋ジストロフィーを患った鹿野さん、病院や障がい者施設ではなく、在宅で暮らしたいと24時間介護を自薦するために多くのボランティアを募集し、育て、暮らしていくノンフィクション作品。鹿野さんは生活全てに関わる自分の欲求を全力でボランティアに求めていく。その応対に右往左往し、時にぶつかり、ボランティアを悩ませ、その人の生き方を変えることもありました。

読んで最初に思ったことは、24時間介護が必要な人が、自分の生活をすすめるために、ボランティア(や看護師、介護士)を指図するというのが、「ワガママ」になるのか?指示内容は、とっても小さいこともあって、文字ずらだけだと自分本位とられることもあるだろうなと第三者視点からも思うこと多々。確かに夜中にお互い眠い中での指示には、ボランティアも時にはイラっとくるでしょう。

でもこれって、赤ちゃんの夜中授乳&ミルクに似てない?と頭に浮かんだのです。

うちの息子はミルクっ子だったので、夜中赤ちゃんが泣く→夫または妻が眠い体を起こして真っ暗な寒い台所に行って、ポットのお湯と水とミルクを調合。ミルクができたら、うつらうつらしながら赤ちゃんにあげるというのをやっていた。

ミルクを作っている間、赤ちゃんは大泣き。手の空いている夫もしくは私が赤ちゃんをあやす。おむつも濡れているんじゃないか?と確認したり、ただただ泣き叫ぶ赤ちゃんを抱っこして立ち上がり、横へ縦へとゆらりゆらり揺らす。これがたいてい夜中2回はありました。2回目が朝の4時頃でもうそのまま起きた方がいいんでは?と思いつつ、疲れ果てて寝てしまい、起きたら結構時間が経っていた(夫は既に会社へ)のも今は思い出の一つになっています。

おっぱいやミルクが欲しい、おむつを替えて欲しい、抱っこして欲しいなどの赤ちゃんの欲求をワガママって言えるだろうか?私は「NO」です。これは本人が生きるために必要な行為だから。赤ちゃんは人の手を借りなければ、生きていくことが出来ない存在だから。

もし、赤ちゃんの欲求が「ワガママ」になるなんてことが起こったら?これは想像してみてください。私は怖いなーと思いました。

今の子育ての現状は、マスコミが強い内容を取り上げることもあるのですが、電車やバスでのベビーカーについての苦言、泣く赤ちゃんや親への暴言、保育所建設反対の理由が「子どもの声が公害」と言われてしまう……。などが報道されています。

もっとあたたかい事例もあるはずなんですが、その事例よりも社会問題をはらんでいるものを取り上げるのが報道の役割でもあるので、「マイナスイメージ」のあるものが、情報として入るようになっています。

背景にある問題も含め、現状を変えるには時間がかかります。でもその間にもし、ひとり一人ができることがあるならば?

「助けて欲しい」と声をあげること、「助けて欲しい」と言われたら、できることであれば手を貸すことだと思います。

助けが必要な時に、遠慮や後ろ向きの気持ちを持たず、挨拶と同じぐらい自然にできる
手助けが必要な人に、手が貸せる人は、気軽に声をかけることができれば。

きっと社会は変わるのではと私は思います。

やや考えまとまらずですが、これはおっきな課題なので、時間をかけて補足もしていきたいと思います。


#こんな夜更けにバナナかよ #育児 #ミルク  

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