随筆
地元に帰ってすぐ、父が新型コロナウイルスに感染した。
父は自室をもっておらず、リビングに隣接した和室で過ごしているので私は妹の部屋に隔離、妹は彼氏の家にしばらく泊まることとなった。
私の部屋は私が地元を出てすぐになくなっていた。今は母の物置になっている。
私もウイルスに感染しているものかと思っていたが検査を受けると陰性で、すんなり外出の許可が出た。
しかしもとより友人はめっぽう少なく、既にほとんど顔を合わせていたのでやることもなかった。
東京の自室が恋しい。パソコンで作業がしたい、向こうに置いてきたあの本が読みたい。
細かいところをいうと、ドア一枚を隔ててすぐ人のいることが気になる。物音が気になる。
妹の部屋に居座るのも気になる。
部屋を汚してはならないと常に神経質になって落ち着かない。
東京に帰りたいと率直に思う自分が不思議である。帰ったとて同じくひとりのはずなのに。
地元に帰るときはたいてい三日も居座らずすぐに出ていくので、こう何日も働かず学校にも行かずの宙ぶらりんになるのは初めてのことであった。
何日も地元にいると、日に日に昔の記憶が鮮明になるのを感じる。
近くの山の公園とか、駅前のバスターミナルとか、ショッピングモールのフードコートとかが、私の海馬をつついてせせら笑う感覚。
たいていは嫌なことを思い出す。そのたび呻き声を堪える。
懐かしい思い出もあれどかえって虚しさを増すだけだ。
暇になるといけない。忙しくすれば雑念は薄れるものだ。この病の特効薬は活動なのだ。
けれどもどこか力の入らない人間になってしまった。欠乏感がつきまとっている。
そしてこの力の抜けたニンゲンを鏡で見ると嫌悪で失せたくなる。
と、ここまで書いて数日寝かせたのだが今の私にはこのどんよりしたニンゲンが不思議でならない。「なにを書いているんだおまえは?」といいたい。
一度ここで区切って投稿するにも暗すぎて出したくないし、けれど思うこともあったのでそのまま続きを書くことにした。
私はいわゆる「考えすぎ」なのだ。最近ようやく自覚した。
ここ数日はアルバイトのことも学校のこともそれほど考えず、気の向くままに生活していた。
具体的には河川敷をあてもなく散歩したり、昔やっていたゲームセンターのリズムゲームをしてみたり、ぼーっとテレビをみたりしていた。
しかしどうしてか生活は成り立つものだ。
就職については父も母も「おまえのような人間はどこにいってもなんとかなるものだ」というし、何かを作らずとも咎められることはなく、金がないと常々思っていたが存外なんとかなっている。
東京にいるときはまったく違う気分で、将来に向けて常に歩まなければと焦り、美術大学に身を置きながらそれらしい作品のないことに後ろめたくなり、毎日アルバイトの給料と生活費を交互に眺めては憂いていた。
地元にいるからといって状況は何も変わらないのだが、もとより私は「フツーに就職しよっかなー本好きだし文章書くの上手いっていわれるしそんじゃ出版社で!」といったノリで就職先を絞っているし、作品も書きたかったら書けばいいものだよなあと良くも悪くも軽く捉えられ、金銭はなくともなんとかはなっているし金銭があるから何がしたいといわれると特に思い浮かぶことはない。
母はやけに楽観的な人間で、それでもうまいこと人生を謳歌しているのだけれど私にもその血が流れていることを最近実感する。
産まれて生きて死んでいくだけなのだから、考えすぎて動けなくなるくらいならテキトーに動いてもいいのかもしれない。
なんだか言葉にすると薄っぺらくきこえるよなあ。
思ったことをそのまま書いてろくに見直しもせずに投稿しているからなのかもしれないが、数日前の文章を読んでふと私は正直な文章を書くなあと思った。
自意識過剰が少し良くなったのかもしれない。
けれど私自身に興味のない人はこの文章を読むに堪えないのだろうなとも思った。「結局なにがいいたいの?」って。
そっちをみるともう少し理知的で論理的な文章が書けたらなあと思うが風のように生きたい思いが「正直でいいじゃん」という。
なんだかそういう正直を編集してやるのがつまり私の制作になるのかもなあなど考えたり。
作りたかったら作るかなあ。
もう少し楽に生きてみることにする。
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