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映画のトークショーで福を授かる

映画「ある精肉店のはなし」の続きです。

さて、映画が終わって、舞台上でトークショーの準備が始まりました。椅子3つ。マイク3つ。

司会はおらず、舞台に出てこられて、最初の挨拶を始められたのは、纐纈(はなぶさ)あや監督でした。若くて(40代?違っていたらゴメンなさい!)とても美人で優しい雰囲気の方でした。

話の内容が面白そうで、私はメモを取りたくてカバンの中をさぐりました。でもボールペンの一本も出てこず。弱った頭に記憶するしかなかった。そしてちゃんと記憶できていない。

早かった決意

監督第2作目。屠畜の最後の見学会に誘われて行き、北出家の人々に出会い、即座に「これを映画にしよう!」と決めたのだそうです。帰りの新幹線の中で企画書を書いたとのことでした。

北出家に映画の話をお願いしたとき、家族で話し合いをされ、その結果承諾してくれたのですが、その後は北出家の人々が、監督(やスタッフ)をまるごと受け入れてくれたと言われていました。この映画は北出家の力でできたと。(大意です)

ゲストのお一人は、元大阪人権博物館学芸員 大田恭二さん。監督が「この人がいなかったら映画は完成しなかった」と言っておられました。

大田さんが「北出家の生活は戦いだったのだ」と言われていたのが印象的でした。これは、現在のことであり、過去のことを言っていると思いました。

話が進むうち、私のすぐ後ろの席で、なんかブツブツしゃべっている人がいるなあと思ったら、次男の昭さんでした。紹介され、立ち上がって挨拶されました。ビックリしました。

サプライズ


ゲストのもうお一人は、「阿波木偶箱まわし保存会」の辻本一英さんです。

辻本さんは元定時制高校の教員で、人権の広報の仕事をされていました。自分のおばあさんが、持っていた木偶(でこ)人形を川に流したと聞きます。「箱まわしを埋もれさせてはいけない」と仕事をやめて復活させます。

とてもお話がわかりやすく、人柄が表われていました。そうしたら、「今日、箱まわしの人に来てもらった」と、監督さんも知らなかったサプライズ。会場が沸きました。


伝統芸能「箱まわし」とは


木偶人形を持って家を回り、三番叟まわしを演じて正月を祝う角付け芸。人形を箱に入れるので、「箱まわし」と言われる。

近年はほとんど見られなくなった。箱まわしを生業としていた被差別部落の人たちは、人形を持っていると出自がわかってしまうと考え、こっそり川に流した。


辻本さんのおばあさんもこんなふうに川に流してしまいました。とても立派なものだった、惜しかったと言っておられました。

その伝統芸を復活させ後世に伝えようと、徳島市に、阿波木偶文化資料館「人形のムラ」を開館させたそうです。

朝日デジタルの記事から。このお二人が演じてくれました。

阿波木偶文化資料館のチラシより


三番叟まわしの芸はとても動きが細やかで、人形も衣装も素晴らしいものでした。口上と太鼓もリズミカルで面白かった。

お正月には家々を回り(それが角付け)、お布施やお餅をいただいたそうです。お正月を祝う大切な行事だったのですね。そして、とても縁起がいいものだと思いました。


そして帰るとき、出口で三番叟の人形が、一人ひとり握手して頭をなでてくれました。福を授けてもらいました。とっても嬉しかった。
 その日は11月29日。「良い福」の日とのことでした。

そしてこのお話も、「ある精肉店のはなし」に通じるとわかりました。

長くなったので、改めます。
続く。




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