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西村賢太『苦役列車』

金曜日に買ってきて、土曜日に読み出したら止まらない。(薄い本ですが)
ショックを受けたと書きました。
本当に衝撃だったのです。

 西村賢太氏については
もう少し本を読んだりして、まとめて書きたい気持ちになっています。
今日はこれまでのことを。

 私が作家、西村賢太の名前を知ったのは、朝日新聞の夕刊、
亡くなった方を偲んで、なじみの方が追悼文を書く「惜別」のコーナーでした。
それまでは知らなかったと思います。

  私がなぜ西村氏が気になったのか。
よく覚えていませんが、まずはその風貌だったと思います。

 今見てみると、その時の新聞を取ってありました。(気になっていたんだ)
見直すと、ごっついガタイと、一見して怖そうな顔。
街で睨まれたらどうしようと思う顔です。

 その追悼文を読んで、わかったこと。
波乱にとんだ人生を送っていたこと。
芥川賞を取っていること。
お酒が好きだったこと。

 そういえば、お別れの会の記事も新聞に載っていて、
好きだったお酒を並べて偲んだとありました。 芥川賞受賞決定の時に、「風俗に行くところでした」と言った話は有名らしいです。

 金曜日。本屋さんをブラブラしていたら、西村氏のこれ、「苦役列車」が目に留まりました。
その隣には『(ヤマイダレ)の歌』もありました。
(ヤマイダレは、部首のみ。変換できない)
 こっちが先だなと思って「苦役列車」を買ったのです。



 読み出して、のっけから衝撃でした。
これから読む人のためにあまり書けないですが、
古いアパートで目が覚めた貫多が共同トイレに行く場面から始まります。
ここで、すまし顔をしていたらぶっ飛ばれそうな表現が続きます。

日雇いに行かないとお金もないが、行く気にもならない。
将来に希望もない。友達もいない。

 賢太と寛多。
私小説作家だそうですので、これはほぼ等身大の西村賢太と考えていいのでしょうか。
違うと本人は言っていたらしいですが。

 でも、そんな貫多の生活が、どんどん読ませる表現で描かれています。
主人公が浮かび上がってきます。
寛多のすることに、少し、いや、大分ハラハラさせられながら読みました。

 そして、昨日読み終えた後、
「すでに西村賢太はこの世にいないのだ」と気がつき、
そのことがまたショックでした。
なんだろ、落胆というか、喪失感というか、まだ続くと思ったことが続かないこととか?
この感情はまだ自分でもわかりません。


 なぜ私は西村氏に惹かれたのだろう。
最初は、すでに書いたように西村氏の風貌とその破天荒な生涯だったと思います。


 実を言うと、違和感とでもいうべきものを感じたり、またその小説にも読みにくさを感じるところがあります。(風俗とか性とか)
それでも、私は西村氏の小説を読むのだろうか。読むことができるのだるか。
一瞬、そう思いました。

 答え。読むと思います。西村氏の赤裸々さが人間らしさであり、
そこにはやはり惹かれるからです。


 西村氏は売れるようになっても変なこだわりがあったり編集者を泣かせたりだったそうです。
でも、「惜別」の記事にあったように、
「突然切れるのは貫多そのまま。しかし素顔は社交的で気遣いの人」だったそうです。少し乱暴だけど自分に正直で繊細な人だったのではないかと思います。
それだから、愛されたのでしょうね。

 「惜別」の記事からもう一つ引用を。
「読めば読むほど貫多は最低な男。だからこそ読者は彼を愛した」

 享年54歳。タクシーの中で倒れてそのまま亡くなったそうです。
人生の終わり方も、西村氏の人生らしかったと思います。
違ってても良かったのに。

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