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暗黒涅槃主義:善悪を消去すること

はじめに

倫理的問題を根本的に解決する方法の一つとして、ある事態を倫理的に問題だと判断する主体を消滅させる方法がある。それが「暗黒涅槃主義(dark nirvanism)」である。

具体的には、その主体の物理的な消滅やその主体が属する種全体の絶滅が考えられるが、本稿では、そうした物理的消滅ではなく、その主体の倫理的判断能力を外科的、あるいは薬学的に消滅させる行為の倫理的問題を考察する。

暗黒涅槃主義とは何か

暗黒涅槃主義(dark nirvanism)」とは、ある倫理的判断主体の倫理的判断能力を外科的、あるいは薬学的に消滅させることで、倫理的問題の可能性そのものを消去する立場である。

DN(以下「暗黒涅槃主義」をDNとする)を採用する動機のひとつ(説得的とは到底思えないが)は、倫理的判断とは、実在的な対象に関するものではなく、人類の側で行う特有の判断であり、世界から善悪の問題を消し去る冴えたやり方のひとつは、そうした判断主体そのものの消去であるという考えだろう。

とはいえ、わたしの知る限りこの立場を取る論者がいるわけではなく、また、わたしもこの立場に肩入れしてはいない。DNはデモーニッシュな友人との議論から生まれた立場で、その異様さに惹かれたためここで紹介したい。本稿では、この立場を思考実験として立てることでどのような問題が生まれ得るかを考察したい。

DNは明らかに異様な立場である。この立場においては、たとえば、人間を含めた生物が感じる苦痛を削減するなどの世界への働きかけを行う代わりに、そうした苦痛に満ちた世界に対する善悪の判断そのものを消去することで倫理的問題を消去しようとする。

それは、本末転倒の響きを持つ。わたしたちが倫理的問題を発見することで世界をよりよくしようとする代わりに、わたしたち自身の判断を消去することで世界を変えずに、倫理的問題を消し去る。

DNの何がわるいのか

だが、DNの何がわるいのかを考えると、わたしたちは濃い霧の中に迷い込んでいく。ここで、DNに関する実際的な倫理的問題を考えないようにしてみよう。つまり、倫理的判断消滅は、少なくとも倫理的判断が可能なあらゆる人間の合意を伴って、全人類に倫理的に問題ない仕方で行われたとしよう。

さて、わたしたちがもしその状況を客観的にみたとしたら、その人類たちは愚行をなしているのだろうか? その人類たちの存在する世界では絶え間ない動物虐待や、劣悪な環境での動物の養育、あるいは、ジェンダー的不平等な扱い、子ども、大人、老人への絶え間ない攻撃が、わたしたちの地球とそっくりそのまま続けられている。しかし、彼らは、それらを善であるとか悪であるとか判断する能力は既に消し去っている

彼らは、わたしたちより劣悪な環境にいるのだろうか。あくまでわたしたちの側から見ても、彼らはよりわるい環境にいるのだろうか。

倫理的能力の是正の力の問題

彼らの世界には、世界をよりよいものにするという倫理的動機づけが失われてしまっている。これは、わたしたちの世界からみてわるいことだろう。彼らには、動物への配慮や、子どもへの配慮が存在しない。むろん、善悪の範囲によるが、彼らも経済的なあるいは美的なといった何らかの目的のために動物や子どもへの配慮を行うかもしれない。だが、彼らは、倫理的動機づけからそうした配慮を行うことはない。

もし、わたしたちの世界が倫理的動機づけによって改善されてきたと考えるなら、DNが肯定された世界は倫理的な改善可能性の考えられる限り少ない世界であり、わたしたちからみれば倫理的に問題のある世界である。

だが、問題は、あくまでそのわるさがわたしたちから見たわるさであるということだ。DN世界には、善悪を判断する主体が存在しないのだから、もし善悪がそうした判断主体を離れては存在しないと考えるなら、DNは、その世界に存在するものの観点からはよくもわるくもない。

DNは世界をわるくするのだろうか。それとも、世界はよくもわるくもなっていないのだろうか。

ナンバユウキ(分析美学)Twitter: @deinotaton

引用例:ナンバユウキ. 2019. 「暗黒涅槃主義:善悪を消去すること」Lichtung note, <https://note.mu/deinotaton/n/ne613abb462cc>.

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