Moved soul No.03
YAMAHA FG-240
中学生の頃、土日になると僕はいつも街中のある楽器屋へ通っていました。
その楽器屋の規模は大きくて吹奏楽器からピアノまで全てが揃う有名店でした。
僕のお目当てはそこのギターコーナーで、高くて買えない名器を見ては溜息をつきながらあれこれと触りまくっては試し弾きしていたのですが、
お店側からしたら、冷やかしの小僧が今日も来て、折角ピカピカに磨いた高級ギターにベタベタ手垢を付けやがって、たまらんな全く・・。
みたいに思われていたんだと思います。
その当時はフォークギターの全盛期で、クラスの男子の半数はギターを持っていて、休み時間はもうギターの品評会・・。
皆、自分のギターを見せびらかせては蘊蓄を語り、格好の良いフレーズを弾いては得意になっていました。
残念ながら、当時僕はギターを持っていなくて、いつも悔しい思いで、夜毎マイギターを夢見ては褥を濡らしていたのです。
そんなある日のこと、突然私に天恵が訪れ、思わぬボーナスを手にしてしまいます。
よし、これでギターが買える!
僕はもうまっしぐらに例の楽器店に走るのでした。
ここで当時の新品ギターの価格について少し・・。
副題にある「YAMAHA FG-240」、それこそがその時僕が手に入れたギターなんですが、
型番の末尾の数字がそのまま定価に反映されていて、このギターの定価は24,000円なのですね。
そしてFG-200は20,000円、FG-180は18,000円、なのでした。
その頃の皆が持っているギターはほぼFG-180以下のグレードで20,000円超えのギターを持っているヤツは誰も居なかったのです。
ふふふ・・この240を教室に持って行ったらどれだけ鼻が伸びる事やら・・地球を一周して背中に刺さっちまうぜ。
なんてアホな妄想を膨らませていたのでした。
さて、ここから「Moved soul」の展開に進みます。
実はその時、僕が得た臨時ボーナスはキッカリ20,000円でした。
しかし、僕が死ぬほど憧れていたギターは先の24,000円のFG-240・・。
この予算ではどう転んでも買える訳がないのです。
そんな事は端から分かり切った事で、諦めて安いギターを買えばそれまでの事なのですが・・・。
僕はお店のギターコーナーの前を行ったり来たり。
いつもより余計にうろついていた訳です。
絶対に買える事のないFG-240の前に立ち止っては手に取りまた戻す・・・、なんて事をずっとやっていて、ますます怪しい中学生になっていたんだと思います。
さっさと諦めて20,000円のギターを買ってしまえば良いものを、
まるで振られた女の子を諦めきれずにウジウジしている格好悪く情けない少年になっていたのでした。
かれこれ一時間程そんな事をやっていると、突然後ろから声が・・。
「どれが欲しいんだい?」
それはそのお店の店長でした。
僕はとっさに
「FG-240!」
と答えてしまいます。
店長は続けて
「で、いくら持ってるの?」と・・。
僕はドキドキしながら、正直に
「にまんえんです・・」と答えました。
店長は「ふ~ん・・・」とだけ言って、僕の目の前にある
FG-240をひょいと掴み上げるとそのままレジカウンターまで持って行ったのでした。
僕はこの人何をしてるんだろう??とポカンとしていたら、
店長が僕を手招きしている・・。
僕は呼ばれるままにカウンターへ行くと彼はこう言うのです。
俺はそんな悪い奴じゃないから・・。
???何を言っているんだこの人・・。
ただでさえ頭の悪い中二のクソガキには、事の展開が全く理解できずに、
店長とギターを交互に見ながら立っているしかありませんでした。
すると店長は店の奥の方にチラリと目をやり、僕を見直すと、
「ギターケースもいるだろ?」と言う。
僕の心の中では、
「ちょ、ちょっと待って、まだこれを買いますとか、一言も言ってないよ!」
「無理やり買わす気ですか!!??」
なんて思いが渦巻いてしまい、不安で顔が真っ赤になってしまった。
店長は店の奥から立派なYAMAHA製のハードケースを持って来て、
慣れた手付きでギターを収めると、
「ハイ、にまんえん!」
と言って掌を僕に差し出したのです。
うわ~~なんですかこれ!?こんな事ってありますか??
このケースだけで10000円ですよ!
もっともっと安い布製の1500円くらいのケースも沢山あると言うのに!
定価総額34000円・・。
僕は店長に言われるままに、ポケットから四つ折りにした一万円札2枚を差し出すと、店長は明るく
「ありがとうございましたー!」・・と。
そして、ただただボーっと突っ立っている僕にギターケースを握らせ、
僕の背中に手を当て、店の入り口までグイグイと押して行くのでした。
そして僕をポンっと店の外に押し出してこう言ったのです。
「またね~!」
僕は呆気に取られて、この間一言も言葉が出ませんでした。
店長がギターを掴んでから3分も経たずに僕はギターを手に店の外に固まって佇んでいたのです。
”ありがとうございます”の一言すら言えずに・・。
まるで、まだ感情を上手く表現出来ない幼児のようでした。
こ、こんな人がこの世にいるんだ・・?
家に帰ってからも、暫くはボーっとしていてギターに触るのがちょっと怖かった・・。
ゲームチェンジャー
彼はまさに僕のゲームチェンジャーでした。
その日から僕は一気にギターにのめり込み、左手の指から血が噴き出すくらい練習していました。
ギターと言うアイテムが僕のその後の人生に与えた影響は大き過ぎて、どれだけ様々な人とのコミュニケーションに役立ったか計り知れません。
それから幾年月・・
今でも店長のあの優しい声が蘇ります。
実はその出来事から数年後にはお店は閉店してしまい、
結局お礼の一言も言えないままに今に至ります。
出来る事ならお会いしてお礼とあの時の感動をお伝えしたい。
そう思い続けながら、いたずらに歳を重ねてしまいました。
「俺はそんな悪い奴じゃないから」
その、慈愛に満ちた菩薩のような言葉は、私の心の中の「石板」に深くクッキリと刻まれ、生涯消える事は無いでしょう。