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ドライブ

貧乏旅行”すら想像できない学生なので、休日はだいたいアルバイト。割のいいのは日当の出る現場仕事で、引っ越しの助手がおいらの“定職”だった。

朝6時半に事務所に行くと、仕事前のドライバー達が円卓を囲んでワイワイと、「昨日のパチンコはどうだった」だのなんだの。
体で稼ぐ彼らは揃って体格がよく、作業服がよく似合う。その片隅でおいらを含めたバイト連中が肩身狭そうに作業服に着替え、今日どのドライバーにつくかシフトを見ては、安堵したり落胆したり。

この組み合わせがその一日を決める。いかにもできる感じのリーダー格から、やや老いて力はないが温厚な初老の男。そして今日のおいらの相棒は、若くしてドライバー連中の真ん中に居座って場を仕切る、茶色く染めたやや長い髪に斜めのグラサンをかけたミュージシャン風の男。かねてから彼とだけはコンビを組みたくないと恐れていたが、ついに“相棒”になってしまった。

駐車場に車をとりにいく男と、引っ越し用の梱包資材を倉庫でまとめて車を待つおいら。停車した2t車のリアを開けて資材と台車を入れて、速攻で助手席に座る。
「お願いします」と礼儀正しく挨拶すると、こっちを見もせずに「おう」と不機嫌そうに返す。片手でハンドルをまわし、アクセル全開で現場に向かう。途中、道路に飛び出す昨夜からの酔っぱらいに「どけや、こらぁ!」と一喝する声がおいらに向いてるようで、初っ端から威嚇される。

これまでの相棒達も一癖あったが、この男の不思議なところは“高速道路を使わない”ところ。
道に詳しいのか、下道・抜け道を器用に抜けて、高速で行くのとほぼ同じ時間で現場に着く。道すがら、市場の仕入れを終えた料理人や、通学する子供を送り出す母親たち、開店準備のショッピングセンターや、さびれていく商店街。いろいろな人生が交錯する街をドライブする

個人宅の作業は概ね、一日に二件をこなす。遠方への引っ越しは、荷物を預かると輸送倉庫に運ぶが、東京近郊であればその日のうちに新居にお届け。玄関をのぞくと様々な人間模様が垣間見れるもので、高級マンションの冷え切った家族や、傍目には豊かには見えない家主がそっと差し出してくれた“お車代”。さらには、引っ越し作業中も寝たままのヒモらしい男と暮らす依存症の女。家を差し押さえられた夜逃げのケース。

荷造りしてトラックに詰め込む。最近は冷蔵庫くらいは一人で運べるようになった。辛いのはエレベーターのないマンションで、幅の狭い階段を細心の注意で運び出す。荷物の下を持つ役はとんでもなく重く、わざとバイトを下に行かせるドライバーもいるが、このグラサン男はそういうセコさはない。仕事はできるし、客への当たりもうまい。少しづつおいらの中の評価が上がる
“使える”と思ったバイトには、的確に、時に厳しく仕事を仕込む。グラサンが玄関で靴を脱ぐと、「つま先は出口に向けろ!」と一喝される。荷物を持つと、そのまま靴をつっかけて外に出れるように仕込まれた。

お楽しみの昼飯は下町中華へ。いつもどおり500円玉をポケットに入れたおいらの選択肢は、500円のラーメンのみだけど、横のグラサン男はラーメンに餃子をつける。すると、ラーメンを黙々とすするおいらに「ほら、食え」と餃子を皿の半分くれた!思わず笑みをこぼすおいらに「うめぇだろ」とにやりと笑う。ここでなぜか、人生の大きな借りをつくった気がした。

仕事を終えるとトラックを駐車場に仕舞い、よれよれの作業服を脱いで、更によれよれの私服に着替える。「お疲れ様でした」と家路につこうとするおいらを手招きして、「ちょっと行くか?」と連れていかれ、キャバクラをごっつぁんになった。

翌日から、意図的にとしか思えぬほどコンビを組む二人。聞くと、グラサン男はミュージシャンを目指しており、ライブに行くと結構なファンがいた。対バンと比べてそれ相応にレベルが高い。ただ、プロになるには、流行りに沿う器用さがもうすこし必要な気がした。

春になって卒業を迎えたが、入社日の前日までバイトした。運よくそこそこの会社に入れはしたが、入社してすぐに「間違えた」と感じた。何というか、育ちが違う。故に価値観が違う。飲み会では、いい年の部長が「お前、格闘技やってたらしいな。俺は剣道やってたんだ。棒があればお前どうなる?」とマウントしてくる。支払いは部長が社名で領収書を切っていた

ときどき価値観のズレから嫌になって「もう辞めたいっすよ」とグラサンにこぼすと、「お前の帰るところは、いつでもあるからな」と言われる。世の中に正否があるなら、おいらはグラサンが正しいと思う。

その後、大型免許を取得して大手の運送会社のドライバーとなったグラサンは、行きつけの店のホステスに入れ込んで同棲。一枚上手の女は、彼を魅了しながらも少しづつ、彼の持つ色んなものをとりあげ、骨抜きにした末にあっさり捨てた。それを機にか、彼は親の介護のために国に帰り、疎遠になって30年が過ぎた。今はどこで何をしてるかも知らない。

コロナが世界を覆う中で経済の流れは停滞し、回らない世界に居場所をなくした人々が溢れた。そしておいらの会社にも、嫌な空気が漂う。
人生半ばを迎えてこれからのことを考えるに余りある空白の時間に、ふと昔の2t車でのバイトを思い出し、肩を叩かれる前にこちらから早期退職に手をあげる選択をした。

久々に2t車に乗り客を前にしてみると、仕事を通じて人様の力になり、報酬を頂く。そんな当たり前のことの有難みを改めて感じる。ドライブ。ただ世の中に金を分配するために経済を回す、目的のあやふやな小さな歯車の一つだったおいらからすると忘れかけてた爽快な気分。自らの決断に自信をもって、残りの半生を過ごせる気がした。次第に勘も戻り、仕事に慣れてきた。若いころのようにはいかないが、体を動かすだけで気力が戻る!

ある日の客は初老の男。一人暮らしから、デイケア付きマンションへの引っ越し。現場につくと、白髪に染まりながらも背筋の伸びた男に軽く会釈。2t車へと運び出す荷物の中には見覚えのあるギターが。作業も終わりに近づいた頃、作業完了のサインをもらうために、部屋にあがるおいらに傾斜のついた、グラサン風老眼鏡をかけたその男が一言。

「おい、つま先は出口だろ!」

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