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日本語力

 「日本語力」(水王舎)という本を刊行したのですが、「あとがき」があまりにも長いので割愛されました。しかし、私には思い入れのある文章なので、敢えてここで掲載することにします。私の「日本語」についての原点だと思うからです。

「私には二人の男の子がいるのですが、長男は早熟で、親が特に何かを教えなくても、自分で勝手に絵本を取り出し、次から次へと夢中で読み続ける子供でした。幼い子供にしてはやたら小難しい言葉を使い、それがかえって生意気に思えることもあったのです。
 それに対して、次男はおっとりとして、素直な子供でした。まるで女の子のようなかわいらしい顔をしていて、家内は本人がその意味を理解できないでいるのをいいことに、彼の髪の毛を伸ばし、それを赤いリボンで束ねたり、女の子っぽい服ばかりを着せたりと、自分勝手に楽しんでいたようです。次男はみんなが思わずかわいいと振り向くような、お人形のような幼子だったのです。
 また私もそれが自慢で、本当に眼に入れても痛くないようなかわいがり方をしました。ところが、彼が成長して行くにつれて、私たちの胸にしだいにどす黒い不安が広がっていくのを感じ始めました。いつまでたっても、彼は言葉が喋れないのです。知能障害を持っているのではないかと、密かに覚悟を決めたこともありました。
 今なら「論理エンジン」という言語プログラムを開発しているのですが、当時はまだ私も予備校講師として教壇に立ち始めたところで、まだ「現代文」という教科を教えているに過ぎません。それにしても、現代文の講師である私の子供に、よりによってなぜ、といった思いが否めませんでした。


 三歳の児童検診で、言語障害の疑いがあるから、一度専門家で検診を受けるように勧められたときは、私たちはやっぱりと思わず顔を見合わせたのです。恐れていた事態がついに現実のものとなるのではないか、その夜は夫婦二人で彼の将来についていつまでも語り合ったものです。家内は仮に言語障害であったとしたら、それを子供の個性として受け入れていこうと、強い決意を示していました。
 実際に、幼稚園に上がろうというのに、「お父さん」が言えないのです(なぜか「お母さん」は言えたのですが)。彼が話せたのは数語の単語だけで、「わんわん きた」といった連語は言えませんでした。
 検診の結果は、極度に言語の発達が遅れてはいるが、それはこの子の個性であって、障害とまでは言えないという判定でした。とりあえず言語障害といった事態は免れたのですが、言語能力が発達していないことには変わりありません。
 ところが、家内は彼のある能力に着目し始めたのです。それは三歳から習わせたバイオリンで、彼は「メリーさんの羊」という連語は話せなかったにもかかわらず、「メリーさんの羊」という曲を弾けるようになっていたのです。家内はおそらく藁をもすがる思いだったのでしょう。彼の欠点を修正するよりも、長所を生かすことを選んだのです。


 来る日も来る日も家内は嫌がって泣き叫ぶ次男をつかまえ、無理矢理にバイオリンの練習をさせるようになりました。彼が幼稚園、小学校と成長するにつれ、子供の反抗は激しくなっていきます。時には家内の方がかんしゃくを起こして、泣き叫ぶこともありました。そんな時の家内の様子は、私の目からは鬼気迫るものに思えたものです。
 私はバイオリンがそんなに嫌いなら、もうやめさせた方がいいのではないかと、何度か忠告しました。すると、今度は家内との夫婦喧嘩。私には普段から出張続きで、子供と接する時間があまり取れないといった負い目がありました。「それならあなたが子供の教育を見て」と言われたなら、私は返答に窮するしかなかったのです。

 
 次男は小学六年生になる頃から、日ごと変貌していきました。もちろん、日常生活には困らないほどの言語能力は身についてきました。そして、家内は子どもの抵抗ぶりに疲れたのか、その頃からヴァイオリンの道をあきらめ、塾に通わせることになりました。
 やがて彼は中学に入り、体育会系の部活動を始めたこともあってか、体はしだいに大きく頑丈になり、そして絶えず何かにいらいらしている様子でした。もちろん、言語能力はまだ著しく劣っています。長男と三人で会話をしているときも、次男一人だけ参加することはありませんでした。
 そして、思春期といった難しい時期を迎えるに当たって、私たちの間に大きな問題が生じてきたのです。私たちと彼との間に、まともな会話が成り立たなくなったのです。


 彼は誰よりも神経が過敏で、心の中では押さえきれないほどの様々な思いが渦巻いていたはずです。でもそれを外に出す言語能力を持ちません。私たちの方でも、彼が言葉として発してくれないことには、その思いを理解してやることも受け止めてやることもできません。そして、やがて彼は時折肉体を通してその不満を訴えるようになりました。家族に直接暴力をふるうことはなかったけれど、突然怒鳴り出す、「殺すぞ」と叫ぶ、壁を拳で血が出るほど殴る、物を壊すなどの、威嚇行動をたびたび起こしました。
「将来大きくなったら、家族をみな殺してやる」と言ったこともありました。「生きていても仕方がない」と呟いたこともあります。心の底では、真っ直ぐな、やさしい感情が流れているのに、言葉で人とコミュニケーションができずに、心を閉ざしてしまったのです。
 家内は「あの子の喋る言葉は3Uしかない」と嘆きました。
つまり、「うざい」「うるさい」「うっとおしい」、あらゆることをこの三つの言葉で片付けてしまうのですから、たいした言語運用能力の持ち主だといえるでしょう。

 難しい時期を通り過ぎて、彼は今ではあれほど嫌ったバイオリンで芸術大学の入試を突破しました。そういった意味では、家内の執念が実ったのかもしれません。
 私は大阪在住なので、週の三分の二は仕事で東京のマンションにいるのですが、東京の大学に合格した彼は、しばらく私のマンションに転がり込んできました。相変わらず自分の部屋に閉じこもって音楽を聴き、私と口をきくことはほとんどありません。ある日、彼の世界に直接触れる出来事がありました。


 夜の十時頃マンションに帰ってきた彼は突然「今から、病院に行く」というのです。「えっ、どうした?」「何でもない」「何でもなくて病院に行くのか?」「けがをした。」「目の上を切った」「目の上?」
 いつも大学生の彼とこんなやりとりが続くのです。彼は単語を並べるだけで、しかもこちらが追求すると初めて最小限の言葉を返してくるといった風で、そして私が理解できないと突然「もういい!」と会話を中断してしまうのです。でも、今回はどうも急を要する事態だと、私は感じました。


 「目の上を見せてみろ」と、私は強い調子で言いました。彼は長髪で、しかも髪を金色に染めており、顔の右三分の一が髪に隠れて見えないのです。髪をかき上げると、右目の上が腫れ上がり、血がべっとりこびり付いているのです。咄嗟に殴られた傷かと思い、「喧嘩か?」というと、「落ちた」というのです。「えっ?」「喧嘩じゃないのか?」「違う、落ちた」。


 私の頭の中はすっかり混乱状態です。「じゃあ、そのけがは何だ?」「電車のレール?」「えっ、レール?」、こんなやりとりの繰り返しで、私はようやくその状況を理解し始めました。明け方、酔っ払った彼は駅のホームから転がり落ちて、線路のレールで額をざっくりと切ったのです。その後、一人でホームに這い上がり、血が止まるまで町をうろつき廻り、その後、約束通りスタジオでライブの練習を終え、帰宅したのです。最後まで私に怪我のことを隠して自分の部屋で寝るつもりだったところ、目の上が腫れ上がり、痛みもひかずに、切羽詰まって私に「病院へ行く」と声をかけたのです。


「馬鹿」と、私は怒鳴りました。「なぜ、すぐに病院へ行かなかったのか」と声を荒げたら、彼は黙っていました。よく電車にひかれずに、無事に帰ってくることができたものです。
 だが、私には彼の気持ちが手に取るように分かったのです。おそらく彼がホームから落ちたときに目撃した人物もいたはずです。でも、声をかけられるのが嫌で、その場から逃げ出したのでしょう。

 なぜ、すぐに病院に行かなかったのか? なぜ、怪我を隠してスタジオでバンドの練習をしたのか? もちろん彼のきまじめな性格にもよるのでしょうが、そのためには彼はなぜそんな大けがをしたのか、何度も人に説明しなければなりません。そのことは彼の言語能力にとって、非常にやっかいな作業だったに違いありません。
 私はすぐに彼を近くの救急病院に連れて行きました。ところが、その病院はその時担当医がいないということで、救急車を呼ぶように勧められました。結局、十五針縫ったのですが、医者や看護婦から事情を聴かれても、説明をするのは決まって私でした。
 
 彼は友だちがいないといいます。心を通じ合うわずかな親友はいるらしいのですが、大学のクラスメートのほとんどが彼となじむことができないらしいのです。彼は最初から言葉でコミュニケーションを図る努力を放棄しています。きっとこれからもそうやって不器用にこの厳しい競争社会を生きていくことでしょう。ただ、私は彼が言葉では表現できないけれども、真正直で純粋で優しい心の持ち主だということを知っています。


 でも、今でも時々強烈な悔恨の情を持って、自分を責め苛む時があります。なぜ、幼い頃、自分の職業をある程度犠牲にしても、彼に徹底的に言語力を鍛えてやらなかったのか、と。
 今は音楽の道を進もうとしているので、果たして何が正解だったのか、私には分かりません。今の彼が幸せなのか、そうでないかも分かりません。でも、いつか彼がどこかで本書を読んでくれればと願っています。私の死後でも彼が本書を読み、彼の父と母が彼のことをどれほど心配し、心を痛めたのか、いや、そんなことより、自分の内面を言葉で表現できるようになってくれればと願います。

 実は彼に限らず、今や、日本の危機、世界の危機です。
 そして、それは同時に言語の危機、日本語の危機でもあります。そのために、私はまず滅びゆこうとしている日本語をこの時代から救い出したい。本書はそうした願いを込めた、私の初めての「日本語」の本です。

 私たちは言葉で世界を再認識します。物事を思考するにも、みずみずしい感性でもって外界を捉えるにも、すべていったんは言葉を介在させなければなりません。その言葉の運用能力のレベルによって、人はそれぞれが無限の階層社会のどの位置にいるのかが決まるのかもしれません。

 私は決して人間を幾階層かに区別しているわけではありません。同じ世界に暮らしながらも、言葉の運用能力によって、思考の仕方も、世界のとらえ方も、コミュニケーションの仕方も異なっているという事実を指摘したいだけです。
 すぐにキレる人、人付き合いが下手な人、人間関係の希薄な人、コミュニケーションが取れない人、物事を深く考えることが出来ない人、表面的な理解しか出来ない人、将来を予測できない人、複雑な物事を整理できない人、そうした人は日本語の運用能力を鍛えることによって、今までとは全く異なる世界を生きることが可能なのです。
 言葉の使い方を鍛えることによって、論理力が鍛えられ、感性が磨かれ、人付き合いが変わり、仕事がスムーズに運び、恋愛などのプライベート面でも充実し、絶えず世界を瑞々しく捉え直すことが出来るようになり、まさに今までよりももっと楽しい人生を送ることも可能になるのです。

 そして、私たちが絶えず使っているその言葉が、日本語なのです。」

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