見出し画像

“日本初のプロレス専門誌” 月刊ファイトとは

⚠️この記事にはインターネット上には無い、埋もれた情報(新情報)が含まれています。引用・参考にする場合は私のXのDMかこの記事のコメント欄にて事前の連絡をお願い致します。

今回の記事は番外編です。

以前、X(旧Twitter)で、男のロマン blog/LIVE(@70_80s_blog)さんが、猪木さんが幼少期に見たプロレス雑誌として月刊ファイトの写真を載せておられました。
下のポストです。

そのポストに週刊ファイトの前身ですか?という質問があり、たまたま私が知っていたので、私が答えました。答えを言うと、完全な前身ではありませんが、週刊ファイトの前身です(詳しくは後ほど)。
ですが、このことは、このポストの反応や、ネット上で調べてみてもあまり知られていないようです。
なので、今回の記事は月刊ファイトについて調べてみました。

月刊ファイトとは

月刊ファイトは、日本人プロレスライターのパイオニアである、田鶴浜弘氏が1954年12月に創刊した、日本初のプロレス専門雑誌です。
ほとんどの方が、プロレス(現在の週刊プロレス)が最初だと思っておられると思います。
Wikipediaにもそう書かれています。
ですが、実際には、プロレスは1955年10月15日に創刊されているため、月刊ファイトの方が創刊は早いです。

このことについては、週刊プロレス No.2074(2020年7月29日号)の流智美氏のプロレス史 あの日、あの時(Vol.431)に詳細が記載されています。一部引用します。

1955年(昭和30年)7月15日、プリモ・
カルネラ、ジェス・オルテガ、ハーディ・クルスカンプ、バッド・カーチス、ボブ・オートンのら選手が招へいされて、2カ月に及ぶ長期シリーズが開幕した。
前年12月22日、力道山は木村政彦を破り日本ヘビー級選手権を獲得してから、外国人選手を呼んでの長期興行は打っておらず、この「夏の陣」にはシャープ兄弟を呼んた初の国際試合(前年2月)以来の「ブーム再燃」を期していた。
シリーズ開幕当日の7月15日、ベースボール・マガジン社から「プロレス」が創刊された。
このときは「月刊ベースポールマガジン」の増
形(国際大試合展望号)という形で発売されたが、売れ行きが好調だったために、以降も毎月
15日に発行されることとなり、10月15日発売の11月号から、(増刊号ではなく)正式に「プロレス」として月刊誌になっている。
この時点で、国内プロレス専門雑誌としては、初代テレビ解説者の一人でもあった評論家の田
鶴浜弘(たづはま・ひろし、1905~1991年)が主する「月刊ファイト」(1954年12月創刊)の独占状態にあったので、「プロレス」の参入で2誌時代に突入したことになる。

週刊プロレス No.2074より

また、同記事には、月刊ファイトの創刊号(1954年12月)の写真もありました。
下の写真です。

私は見たことが無かったので、かなり貴重ですね!

他にも、主宰の田鶴浜弘氏の著書である、『プロレスオール強豪名鑑 世界編』の筆者経歴の欄にも月刊ファイトについての情報がありました。
こちらも一部引用します。

第二次大戦後のプロレスだが、折から発足したNTV正力松太郎氏の知遇で、“街頭テレビ”人気盛りあげの目玉として“力道山プロレス”テコ入れに一役買い、“シャープ兄弟戦”の解説(プロレスTV解説初代解説者)担当のみならず、“街頭テレビ”にリンクした日本最初の“プロレス専門雑誌”として“ファイト社”創設(現行のファイト誌は、その後新大阪新聞に譲渡して筆者から代替り)、プロレスと併行してNTVのボデイビル定期番組性“男性美の創造”のホスト役つとめ(“ファイト誌上”でも盛りあげをはかる)で昭和30年の大話題“ボデイビル・ブーム”を巻き起こし(三島由起夫を巻き込んでこれが彼の生涯の大転機になる)、“日本ボデイビル協会”設立する。

プロレスオール強豪名鑑 世界編より

有名な週刊ファイトは、田鶴浜氏からファイトの名前を新大阪新聞に譲渡されたようです。
あのファイトに田鶴浜氏が関わっていたとは驚きですね!
ちなみに、この情報は週刊ファイトのWikipediaには記載されていません(というか知られていない感じだと思われます…)。

最後に

どうでしたか?
簡単にですが、月刊ファイトについてまとめてみました。ちなみに、この月刊ファイトは、闘道館にも売られているので、興味がある方はご購入なさって下さい(ですが、かなり値段が高いです。私も持っていません笑。いつか集めたいなぁとは思っています)。

あと、ある程度まとめてみましたが、月刊ファイトについて他にも情報をお持ちの方がいましたら、是非教えて下さい。私のXのDMかこの記事のコメント欄にてお願い致します。よろしくお願いします。

次の記事は、戦前レスラー名鑑 part.2だと思います。作成中なので、少しお待ち下さい。
かなり詳しく紹介する予定です。
では、また次の記事で。

※追加情報


まとめにくかったので、番外として載せておきます。前述した、流氏の記事に田鶴浜氏本人の発言が記載されていました。有名な話だと思いますが、流氏は田鶴浜氏の弟子です。
プロレス(現在の週刊プロレス)が創刊された時の話です。一部引用します。

ベースボールさんはスポーツ雑誌の総合出版社だったし、いずれプロレスに参入してくることは予想していた。書店販売網や営業面で敵うはずがないので、私の「月刊ファイト」は鉄道弘済会(現在のキオスク)に頼んで駅売り中心に移行して売っていた。発行部数もまったくレベいが違ったので、月刊誌としては2年半でやめて、3年目からはスポーツ全般を扱った週刊誌(週刊ファイト)にチェンジして速報性で勝負した

週刊プロレス No.2074より

キオスクで販売するのは、週刊ファイトと同じですね。もしかしたら、名前と一緒に販売方法も月刊ファイトから受け継がれたのですかね?

情報は以上です。
ここまでお読み頂きありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?