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大人の「現代文」……『羅生門』5 人間の道徳感覚って「あやふや」が芥川の主張

『羅生門』で芥川さんが問うているもの

 繰り返しますが、この作品で芥川さんが一番言いたかったことは、我々の「倫理感覚」って「時折々の状況による時折々の感情の産物」つまり日本人の倫理感覚って確固としていない「あやふや」なものだ、ということです。(そう、作者自身が言っているわけですから……)実際、下人の心理はほんの数十分の間に、「あらゆる悪に対する反感!」から「オレも盗人になるぞ!」まで、それこそ180度(コペルニクス的に?)変化しますよね。

 芥川さんのこの指摘が正しいか正しくないか、はひとまず措きましょう。まず、私は、芥川さんの真骨頂はまさしくこういう「倫理観」なるものに注目して、こういう指摘をして小説化したということだと思うのです。まずこれは認めなければなりません。さすが芥川!

 次に、その指摘の中身にはいりましょう。でも、それってホントですか?日本人の倫理感覚って「時折々の」フラフラしたあやふやなものですか? 皆さんどう考えますか?『羅生門』の結論ばかりに目を向けないでくださいね。確かに「人間は状況次第で悪人になる!」かもしれないけど、同時に、この論理なら、いったん悪人になった下人は「状況次第で善人にもなる」わけですよね。まして、いざ悪を決行しようとしたとき、前に指摘した「悪人に対する悪は許される」にしても「相手が悪人かどうかわからない」現実にぎょっとして、「やっぱり悪は無理だわ!」と思うことも十分アリなわけです。 

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