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大人の「現代文」17……『舞姫』あらすじ2 「自我の目覚め」

自我の目覚めなるもの1


 豊太郞はベルリンでいわゆる「自我の目覚め」体験をします。これって皆さんピンと来ますか?我々の若い頃は非常に身近に感じたことばなんですが……。

 この豊太郞の「自我の目覚め」どういうものか見てみましょう。
 ちょっと私風に訳しますね。

 こうしてベルリンの三年間は夢のように過ぎ去った。しかし、時が経てば経つほど抗えぬもの、それは、人間の本性というやつだ。これが気になってしかたなくなったんだ。そもそも僕って何だ?
 というのも、僕のいままでの人生は、母であれ、友人であれ、あるいは役所の上司であれ、とにかく身の回りの誰かが喜んでくれるのが嬉しくて、一途に励んできたというのがホントのところなのだ。つまり人に褒められるのがただただ嬉しくて頑張ってきただけなのだ。自分がそうしたい、そうありたいなんてこれっぽっちも思っていなかったんだ。そんなの殆ど無意識に抑えつけてきたんだ。
 でも、いまこのベルリン大学で学んでいるうちに、僕はそういう自分でホントにいいのかという、今まで考えたこともないような疑問が浮かんできたんだ。多分「学問」に触れたからだったんだろう。「ホントの自分って何だ」という、何か「哲学的」?な疑問が無視できないほど膨れ上がってきたのだ。

 こんな感じです。「僕はこういう在り方でいいのか?」と自分の本質を自問した。これが「自我」の「目覚め」というやつです。これが豊太郞の何よりすごいところなんです。豊太郞ほどの順調な人生なら「僕はすごい!」と有頂天になるのが普通でしょ。でも豊太郞は違ったのです。順調過ぎる人生は横に置いて、自分の「在り方」を真っ正面から見つめたのです。

 これが「自我の目覚め」です。今風に言うなら「個の目覚」あるいは「アイデンティティの自覚」あるいはついこの間盛んに言われた「自分探し」となるでしょう。今はあまり言わない表現ですね。でもこの時代なら「自我」なんでしょうね。
 
 こういう重苦しい表現がこの時代ならぴったりで、今では「古めかしい」というところからまず、考えてみましょう。

 続きます

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