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大人の「現代文」……『羅生門』10芥川の悲劇の真相

芥川の無理と悲劇

 芥川は無理をしすぎたのだと思います。あれほど江戸を愛したんだから、その江戸への愛の根底にあるはずの、日本への愛を意識すれば、西洋的な「悪の美」に過剰にこだわることはなかったのではないかと思うんです。そうすれば、確かに「道徳感覚」は生活の中でさまざま揺らぎがあったとしても、その「道徳感覚」の根底にあるはずの「人を信じるべき」という「倫理」感・観の確かさには気づいたのではないでしょうか?

 あくまで「研究」ではない「エッセイ」として語らせてもらうなら、芥川が語った、「道徳なんて時折り折りの状況で変化する頼りないもの」という道徳への不信を、人間の本質的なありようを規定する「倫理」への不信と、同一化したところに芥川の「無理」があり、(そうなったら当然人間不信になってしまいます)その「無理」を「ただ」の「ぼんやりとした不安」と表現したところに、彼の悲劇の無理重ねの姿があったように思えて仕方ないのです。

 ま、でもその無理を納得させてしまう圧倒的な筆力が彼にはあったわけですが、それは芥川に、表現者としての名声や評価を与えると共に、自らの内面を追い詰める言葉の凶器にもなってしまった。そんな感じがします。その意味で、芥川さんは悲しい人だと私は思っています。

 


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