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大人の「現代文」31……『舞姫』   クライマックスへの序章

相沢ドイツに来た!

 
 エリスの妊娠でとたんに不安になった豊太郞のもとにある日一通の手紙が届きました。送り主を見ると、なんと親友相沢です。しかも、消印が独逸。「何だ?」と不審に思って急いで封を切ると、驚いたことに、相沢は今、独逸に来ているというのです。

 「何しろ急なことだったので、君に知らせることもできず失礼した。実は昨夜、天方大臣のお供で、私もベルリンに来ているんだ。でだ、大臣が君に会いたいとおっしゃっているので、すぐ来てくれないか。いいか、太田、君の名誉挽回の絶好のチャンスだぞ。とにかく用件だけで失礼する」

 ホントに用件だけの、簡潔な手紙です。しかし、それは「郷(日本に)に帰ったら、あいつは学成らずして帰ってきたバカ者」という汚名だけは何としても避けたい豊太郞にとって、鋭く刺さる一言であったに違いありません」こんな心理の時、人はどんな表情になりますかね。そうです。「茫然たる面持ち」になりました。で実際そう書いてあります。

 それを見たエリスは鋭く反応します。心配そうに、彼の顔をのぞき込んで「故郷からのお手紙?まさか悪い知らせじゃないでしょうね?」
「いやいや、悪い知らせじゃないよ。心配しないでいい。君も知っている相沢がね、大臣の随行で今ドイツに来ているらしいんだ。何か急用があると言っているので今から出かけてくる」

 「おーっ」エリスの顔色が変わります。……とは書いていないのですが、きっと変わったはずです。エリスは察しが良いですからね。「豊様が大臣に会う!?」彼女は、まるで踊り出すかのように(踊り子ですから)、パッと顔を明るくして一心に豊太郞の身繕いを始めます。(気分が悪くて寝ていたんですが、ガバッと起き上がったと書いてあります)

  ひとしきり身なりを整えると、満足そうに豊太郞を見上げて呟きました。
 「こうやって、お衣装を整えたあなたを見ると、私の豊太郞様とは見えません。立派すぎて……」

 で、この後、俊敏なエリスは、こう言いました。
 「ねえ、豊さま。たとえあなたが出世してお金持ちになったとしても、私を捨てないでね。きっとね。たとえ、今私が妊娠中でなくてもね」(妊娠していれば、まだ安心できるけど、仮に妊娠していなくても、私を捨てないでね、とダメ押しをしたのです)
 
 ですが、彼女のこの予感、不幸にもあたるのです。

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