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大人の「現代文」……『羅生門』14変わらないもの・変わるもの

不易流行2

 

 もし私が、長年の教員生活を通じて、昔の高校生といまの高校生、どこが一番変わったかと質問されたならば、私はシンプルに「今の高校生はおとなしくなった」「優しくなった」「反抗しなくなった」「ある意味上品になった」などと答えるでしょう。前回のこの記事で言ったところの、「……させていただく」型になったということです。

 あるいは、もともと根強くあった日本的な感覚「謙虚」が主流になったと言った方がわかりやすいでしょうか。ある意味の、「日本再発見」的感覚です。別の言い方をするなら「威張らない」「人の悪口を言わない」「表だって文句を言わない」「人を傷つけない」といった感覚です。

 むろん、私は、こういう現代の若者たちの感覚を悪いこととは思いません。我々の若い頃は、ある意味過剰な「自己主張」がありすぎたかもしれない。いまの若い人には何かほっとする優しさがあります。特に高校生は、こういうと多少語弊がありますが、社会的立場とかお金に振り回されない美しい心を持った年代なので、なおさらそういう傾向が強いと思います。
 
 ですが、何事にもコインの両面があるごとく、こういう「優しさ」の裏面には、必要以上に自分を抑える圧があり得るのではないかと私は危惧するのです。現代の教育問題の最も根源にある「不登校」にこういう「圧」が関係していないか。たとえばいわゆる「人間関係を築けない」といったことに関係していないかということです。私の目には、いまの高校生が、時にしてガラスのように繊細な危うさを感じてしまうのです。

 現代文はこういう生徒の心に応えねばならないと私は思っています。

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