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『わたしハ強ク・歌ウ』について話す会

 小説家、山下澄人による「話す会」に行ってきた。最新作の『わたしハ強ク・歌ウ』について、著者の山下澄人と担当編集者が話す、という会。それがなんと、我が町札幌で行われたのだ。
 『わたしハ強ク・歌ウ』は現在発売中の文藝夏号に掲載されていて、私は発売されてすぐに購入し、3回以上読んだ。私は私なりの解釈で楽しんで読んだので、著者本人や編集者の方がどのようなことを話すのか、興味があった。作家本人によるトークというのは、札幌に住んでいるとなかなか聞けるものではない。配信でも見られるということで迷ったが、緊張するけれど、せっかくなのだから行ってみよう!と思い、夫と二人分で予約を入れた。

 当日は朝からソワソワしていた。
 山下澄人の小説をはじめて読み衝撃を受けて以来、その著作を全て読んできた。小説という世界に、こんなにも新しい領域が残っていたのかと、読むたびに唸らされてきた。そして今回のトークの主題である『わたしハ強ク・歌ウ』には、ここ最近触れてきたあらゆる表現の中で一番ビックリさせられ、心を動かされたのだ。その小説の話を、本人から聞けるなんて。 早朝から『わたしハ強ク・歌ウ』を読み返し、気になったところなどを書き留める。一緒に行く夫も1回半くらい読んでいたので、私は夫に自分の見解を話してみたりした。対話の中で理解が深まっていく。
 そして満を持して、出発の時。会場の琴似レッドベリースタジオは、自転車で30分くらいの距離だが、今にも雨が降りそうなので、開始1時間半前には家を出た。時間までリサイクルショップとブックオフをそわそわしつつブラブラ歩き、開始20分前に会場へ向かった。すでに5~6人の客が着席、向かい合う形で編集者の方と、山下澄人。
 山下澄人!目の前に、本物の山下澄人がいた!私たちは3列ある座席の3列目に座った。狭い会場だ、それでも彼との距離は2メートルくらいしかない。

 近くで見る山下澄人の目はとても大きくて、輝いていて、還暦近い男の目ではなかった。月並みな表現になってしまうが、少年のような目をしていた。しかも不良少年の目だ。強い調子で周囲を睨みつけるように見回す目。ギラギラと輝き、くるくると動いた。あんな目の大人は、はじめて見た。

 やがて観客が揃い、14時、「話す会」がはじまった。山下澄人の話しは、話すときの言葉の選び方、話し方が、書かれた文章によく似ていた。まどろっこしい表現、すぐ横道に逸れて路に迷う。そして人の放つ言葉の背景をしつこいほどに疑う。
 普通ならこんな話し方の人、めんどくさい。しかし山下澄人の場合は、美しかった。山下澄人という人間の生き方、曲げない姿勢。この清々しさにたじろぐ。まぶしい。何というハッキリした輪郭。絵画なら彼のいるところだけ太い黒でフチドリがある感じ。
 そして、こういうタイプの人はたいてい強く威圧的な声を出すイメージがあるが、彼は逆。音量ははっきりしているし聞き取りやすいが、心に届く時の声のトーンは弱々しいほどに優しい。大きな体に優しい声。なんとなくニール・ヤングを思いだす。
 彼の大きくて美しい瞳を見つめ、優しい声を聞いていると、目の前にいる人間が、男性なのか女性なのかだんだんわからなくなる。どちらでもいいんじゃないか、とさえ思った。年齢も性別もない。ただ、一人の、魅力的な人間。これは著作を読んだり、写真や映像で観ただけでは、わからなかったと思う。

 山下澄人は「話す会」の中で言っていた。すべてのものは第一印象としては異物なんじゃないかと。神田日勝の絶筆、馬の絵をみたときに、まず最初に「ベニヤ板だ」と思った、それから馬の絵が目に入った、という。だけどその最初の印象は、絵の感想として語ることはない、それって変な気がする。人間は第一印象が大事というが、第一印象というのは本当のところは「身体がデカい」とかそういう異物としての印象であって内容ではない。第一印象なんて信用できない。
 つまり、だから一読しただけの文章を、その時の感覚を、信じるな、ということ。
 『わたしハ強ク・歌ウ』について、一読しただけで投げ出すのは勿体ない、と私も思う。私は通して3回読んだし、部分的には何度も読み返した。それでわかったこと、楽しめた部分がたくさんある。『百年の孤独』だって何度もページをめくりなおして楽しんだじゃないか、と私も思う。

 『わたしハ強ク・歌ウ』は、書かれていること、人間関係、誰がいつどこで言っている?を整理しなくても、もちろん面白い。詩を読むかのように、書かれていることだけ素直に読んでも、笑いながら楽しく読み進めることができる。1回目で楽しくスラスラ読んだという感想を見かけたが、とても素直な人だ、いいなあと思う。
 しかし私は読書の頭が固い。だから1回目は誰がどこで何を言っているんだろう、ということばかり気になって、うまく読みすすめられなかった。そして読み終わってから、結局、ひっかかったところは全部、わからなくても良かったんじゃないかと思った。だから2回目はわからなくてもいいという前提で気軽な気持ちで読んだ。するとそれぞれの場面が立ち上がってきて、素直に笑って読めた。
 これはまるで「劇団どくんご」の芝居を観ているときの感覚に近かった。前後の脈絡など考えず、次から次へと繰り広げられる場面だけに集中して楽しむ、するとだんだん自分の中で言葉にできない「まとまり」のようなものが感じられるようになり、それが自分の頭の中だけで勝手に作られた誤解のようなものだとしても、とにかく最後には感動する。その誤解が個人的であればあるほど、感動は大きい。途中あんなに笑っていたのに涙まででる。この感じ。この感じを小説で味わうことができた。それだけでも胸がいっぱい、良い経験。

 しかし私はもう一度読んだ。今度は前後の脈絡、誰が何を言っているのかということ、全体として山下澄人が言いたいこと、について考えたかった。つまり普通の読書に挑んだ。これは文学なのだ。あの山下澄人の芸術なのだ。脈絡がないわけがない。ここには山下澄人なりの意図があるはずだ。気づかなくてもいいかもしれないが、気づいたほうが面白いに決まっている。  

 そしてわからなかった部分、印象に残った場面を書き出してみた。その過程で、同じ文章が2回出る箇所を2か所あることに着目した。
 1つは、アンネがペーターとのことを書いた部分と、ママがティート(仮)とのことを書いた部分。そこには「たえず頭をぶつけなくてすむから」という同じ言葉が書かれていた。
 もう1つは、温泉に行ったあとで牛が草を噛んでいるのをみるところと、最後の章でママとムェイドゥが並んで同じ場面をみるところ。これはたぶん同じタイミング、同じものを見たときのことを書いていて、途中までの文章は一字一句違わない。最初のほうには主語がないからはっきりしていないが、どちらもママが書いているのだと思う。どちらにも、ちょっとこれは作り話かもしれない、と書かれている。
 しかし最後の章の方には1文だけ加えられている。「だが全体としてはこうだった」と。ここは「わたし」=ネルが書き足したのではないか、と私は思った。
 ここで気が付く。アンネがキティーで助走をつけて、だんだん小説になっていこうとしていたように、ネルが書きうつした文章も、ネルによって小説になったのではないかと。記憶は、事実は、書くことで変えられる。小説の中なら、アンネはナチスに殺されずに生き残ることができるし、小説家にだってなれる。
 ママは自分のママに捨てられたけれど、再会することができた。わたしは自分のパパに捨てられたけれど、再会することができた。しかもパパはずっと、わたしとママのことを見ていてくれた。
 これはアンネは実際にはナチスに殺された、ということと同じように、現実には起こらなかったことなのかもしれない。だけど、書くという行為によって、つまり芸術によって、全ての人を救うことは可能だと、この物語は教えてくれる。

 この小説は「わたし」=ネルが、様々な「書かれたこと」を書きうつす作業の中で、できごとを書き替え、並べ替え、組み立て直したものなのではないか。
 とにかくネルは書きうつす作業によって、自身と、ママと、ママのパパ、ママのママ、それと自分のパパであるムェイドゥ、さらにアンネ・フランクのことまで、でてくる全ての人々を救ったのだと思う。
 「たえず頭をぶつけなくてすむから」を違う場面で2回使ったのも、そういうことなのだろう。これは、書かれたものであり、創作である、ということの暗示。
 ラストの部分でも同様のことが示唆されている。パパが仕事をする相手、つまり殴る相手が、「わたし」と再会した時点での歳をとったムェイドゥであったことからも、わかる。あと、パパが車を借りる電話をした相手は、ママのママの同僚の先生だったはずなのに、ママの浮気相手のティートにも同じ電話がかかってきた、という場面でも見られる。
 できごとが、時間が、混ざっている。ところどころで、これは創作である、と示されているのだ。書かれたものは事実でなくていい。芸術として、何かを救うことができるならそれでいい。と、『わたしハ強ク・歌ウ』のだ。

 トークの中で、3年前に編集者からの話で進めていた時は「ブルース・リー物語」だったが、それが最終的にはこの『わたしハ強ク・歌ウ』になったと言っていた。どこにブルース・リー要素が?とその時は思ったが、今思い返して、わかった。トークの中で山下澄人は言っていた。ブルース・リーのことを調べているうちに、彼の生涯の不幸な部分、よくない気質のことを知ったが、自分はずっとすごくブルース・リーファンであるので、彼のネガティブな部分を受け入れることができなかった、と。
 わかった!だからだ!だから、山下澄人は、ブルース・リーのネガティブな情報を、書くという行為によって違う形に変えたのだ。その行為によって、ブルース・リーのことも、救ったのだ。そういうことなのか、と私は勝手に解釈した。

 と、私はこの小説について、こんなに色々なことを思ったのだが、この考えは夫にしか話せていない。「話す会」のみならず、終了後はお茶会まで用意してくださったのに、山下澄人が、お茶会の最後に「他に聞きたいことはないですか、くだらないことでもなんでもいいんですよ」とまで言ってくださったのに。私は下を向いて黙ってしまっただけだった。緊張していたし、全然見当違いかもしれない、と躊躇しているうちに、終わってしまった。

 一つだけ、お茶会の席上で夫が山下澄人に話せたことがあった。『わたしハ強ク・歌ウ』というタイトルについて。私は前作『Fiction』のラストに書いてあったことと連なる、高らかな「芸術宣言」ではないかと考え、夫と話していた。人間は救われるべきだ、そのために芸術はある、という強い宣言。そういうことでしょうか、と問うと、山下澄人は、否定はしなかった。「芸術宣言」、そうかもしれない、と。そしてこのタイトルのことを補足説明してくれた。
 このカタカナの入れ方などは、動物としての人間が発しているような感じ、というような話。人間は言葉を使う、動物は使わない。言葉ではない何かで話す。もしも動物が言葉を発したなら、という設定の芸術は沢山あるが、そのとき動物の発する言葉が人間的であることに違和感がある。人間的になるはずがない。
 『わたしハ強ク・歌ウ』というタイトルは、人間がいつもの言語ではない言葉で語ったイメージということか。

 最後の最後、会がお開きになる直前に、夫と二人で勇気を出して、喫煙場所でタバコをすっている山下澄人に話しかけ、前作『Fiction』にサインを書いてもらうことができた。ハンコまで押してくれた。握手までしてもらった。「力をもらっています」と夫は伝えた。私も同じ気持ちだった。
 大変充実した時間で、とても実りが大きかったので、書き留めておこうと思い、noteを始めてみた。ここに書いても仕方のないことだろうけれど、この場を借りて言いたい。
 山下澄人さん、ありがとうございました。

※写真は『わたしハ強ク・歌ウ』掲載の文藝夏号(表紙がなんか恥ずかしいので紙で包んだ)と、会場でいただいた山下澄人が描いたイラストのポストカード

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