見出し画像

やっちまった時のやるせなさに花束を。

文章最後に「。」を付けると昨今良い意味ではないと何かで見た
何も書けない何も言えない
何も思わない
何も触らない(あたりまえ)
何も見ない
何も食べない
何も話さない
何も学ばない
何も進まない
何もいらない・・・そう「無」だ

「。」を付けたか付けないかよりも、シャツのしわを何とかしたら?
「っていうか」と言うなら、似たような内容を聞きなおすなよ
「でもさー」ってなにも言ってませんが
「何か?」って忘れっぽのですかね

何かをやらかしたくないなら、外出せず人にも合わず郵便ポストのダイアル番号も忘れてしまえ

要するには用を足さず
君に何も答えを求めていない
ロジックがというが君に根本的なまとめの創造性が絶対的にあるのだよね?

話す時に、眼鏡の真ん中を触るのは論点をずらしているのかな?
小さい声で「うん、うん」と誰に答えとるのかね?
シニアをセニアというのは、バイリンガル風焼きそばのつもりかな?

やってはいけないこと・・・
人の手を煩わせてはいけないことを私は、昨日してしまった

3枚100円のポリエステル80% ポリウレタン20%の濃いピンクからの白へのマスクを何気に手にしてみた
軽い気持ちだったのに、私の触ったマスクの陳列にフックがぶらさがっていて気が付かず、それごとマスクが30枚は落ちた・・・

ぬーーーーーーーおーーーーーー(no)
マジか
身体障害者になって初めてのやらかしだ
車椅子の為、床にぶちまけた物は拾えないというのがもれなくついてくるのだ・・・

「終わった」とか言うんだろうけど終わっていないよ、始まったんだよ私はね。。ゆっくりと車椅子から降りて床に落ちたマスクを拾うと見知らぬ青年が一緒に拾ってくれている((´;ω;`)ウゥゥ

「すいません、ありがとうございます変なとこ触ってしまって落としちゃいました」

聞かれてもいないのに私は、独り言のように話しました
手際よくマスクを拾う青年は、まるで店員さんのような滑らかな動きでマスクを元の位置へと戻してくれました
私は

「ほんとうにありがとうございます、助かりました」とお礼を告げ心がジーンとしていたのです

床に落ちたマスク一枚拾えないやるせなさと、助けて下さる方の優しさが交互にやってきて本当にお花畑でもあったとしたら、その青年に花を摘んで渡したいほどですが花すら詰めません
右脚が膝部分が曲がらないので体制的に無理かと・・・

助けて下さった今までの方は、皆スマートな対応が多いと思う
知らないふりをせず、何気なく助けて下さるし泣きたいほどの嬉しくて仕方がない
世知が無い世の中とはいえ、困っていたら助けてもらえる事は当たり前のようで当たり前ではないし、なるべくそうならないように気を付けていてもなる時は、恐ろしい事態になる場合もあるわけだ
ゴミを捨てに行っても人と出会うと

「捨てましょうか?」と言われ
雪に車いすごと突っ込んで右往左往していたら、快く車椅子を引っ張って助けてもらったこともある

私の親はそんな私の事を、危ない人間だと心配しているが家に居たら外に出してもらえなくなるので、帰るつもりはない。
残念だが、親の生活スタイルに閉じ込められるのは嫌なのだ自由に出歩きたいし結局自炊も洗濯や掃除も入浴も買い物も自分で出来るので、逆に親の面倒をみるのは無理があるし生活スタイルも今更変えることが出来ず窮屈であり不自由となるので致し方ないのだ

個々のロジックは強要するものではなく、むしろ外でマスクを落としてしまい本当に困った時の、通りがかりの人のロジックに私は救われたという事の方が現実的で感謝しているのだ

完璧な人など居ないけど、やらかした時のあの挫折感と不安間の渦みたいな気持ちはあまり経験したくないと認知したあの日の出来事に、今度はどうもありがとうと渡せる飴ちゃんとか、気の利いたものを差し上げたいと強く思ったドンキ・ホーテでの出来事だった

やはり、「。」を使わず文章を書くという行為はすっきりとせず書きにくいし無礼だと私は思う春の昼だった。







私の望む世界を自分なりに表現したいと思います。大体実話でございますのでよろしければ、読んでいただけましたら小躍りしたいと思います。足が不自由になってからより書きたいと思う事が増えてまいりました。私には背中に翼があることを隠せない性分なのです☆