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マジェンダの君へ。②

私の両親は、私が3歳の頃離婚した。記憶はあまりないが父親は海釣りが好きで、私をよく釣りに連れて行った人だ。
小舟に乗り、釣った魚の魚拓を取る人でたまに小さなタコが針に引っ掛かり小舟に解き放つ父。怖がる私・・・タコが怖くて泣き叫んだのを覚えている。やめてほしい思い出だ。
その父は仙台の人で、山奥の地主の家系らしいが私にはあまり関係なく全く気にしていたなかった。母親に父親の悪行を聞かされ軽蔑していたからだ。
子供は、母親の言葉を信じる傾向があり疑いなどしなかった私・・・
母親は父親の名前すら間違えて覚えていた事を、2023年に私は知った
遺産相続の件で浮上してきた結果、父の名前間違えてるじゃん事件勃発だ父方の親族が、めちゃくちゃ怒っていたので私が謝ったのだけどそんなもんなんだ?と私は痛感した。気にもしていないという事かなと
寂しいね、お父さん・・・可哀そうだなと思うよ。
いろんな生き方があるし、どれも正解は分からない私もだけどさ。

離婚後私は、母方の祖母に預けられそれは厳しく育てられた
明治仕込みの人に、私は母より古風に育てられたのだ。
祖母は、料亭で働き後に建設業の寮母さんをしていた所へ私がいきなり建設会社の寮へ放り込まれた。
大人たちは優しく、山奥で私は草花と犬しか友達がおらず寂しくてずっと建設現場のクレーンやユンボとそれを灯す白色灯を眺め泣いていた
母の迎えを待っていたのだ。
しつこく泣いていると、祖母に怒られるのでどこかで見切りをつける癖が出来たのもそのころからの癖かもしれない。うるさい子は嫌われる。
りかちゃん人形を欲しいと思っても言えなかったし、働き詰めの母を困らせたくないと思った。

私は家出癖がある(今もだ)これは、逃避であり己から逃げている
逃げて良いと思うのだ。
固執されるのを嫌うのは、幼少時代の影響か私の心的問題かもしれない
母親に認めてもらいたいのに、私に興味がなかったのがありありと分かるので走って陸上記録会で優勝したり、子供歌番組に出て優勝してみたり後に歌手になってみたりと結局自分がしたい事をしたんだと今なら思えるんだ。

◇◇◇◇◇
大人の社会って難しい・・・16歳で年配の人の話やご機嫌とか分からなかっつたが、うちの隣のテナントのケーキ屋さんのおばさんが底意地がめちゃくちゃ悪くて、朝各店舗に印鑑のようなものを配られるんだけど隣のお店の人が留守でたまたま、隣のテナントの私に
「これ渡しといて」と言われ安請け合いをしてしまった。不覚だ本当にわかってなかったのだ。数分して隣のテナントのおばさんが戻ってきたが、開店間近で急いでいた私は「印鑑ここに置きますね」とショーケースの上に置いた途端、コロコロと転がり床に落ち行方不明になってしまったのだ。
隣のおばさんが、烈火のごとく怒り
「あんた印鑑なげたな!」と開店5分前に怒鳴り散らしたのだ。
何事か?と私の会社の同僚の大人が慌てだしドタバタの開店になってしまった。私は隣のテナントのおばちゃんに怒りのロックオンをされ、ねちねちねちねち言われバックヤードでお昼休憩前に「じゃあ、どうすりゃいいんだよババア!」とぶちぎれてしまいました。しつこいのも度が過ぎるので我慢ならない16歳です。
結果・・・仕事しなくていいから家に帰るなり学校いくなり自由にしていいよと言われたので、学校休みました。やってられないと思ったのです。
クリスマスも近いし、ケーキの予約も取らなくちゃ学校はテストあるし母は酔っぱらって電柱に顔ぶつけて介抱したりなどもう嫌!海に行きたいと何度も思った「ねえ愛してる?」と自分から聞いたのに、目も合わさず寝ている私の心はアラスカだからの様にと。そこじゃないのにと言わないから乾くのだというくらいに、分からなくなったのだ。





私の望む世界を自分なりに表現したいと思います。大体実話でございますのでよろしければ、読んでいただけましたら小躍りしたいと思います。足が不自由になってからより書きたいと思う事が増えてまいりました。私には背中に翼があることを隠せない性分なのです☆