Undertones - Teenage Kicks

畑に転がるイノシシやシカなどの糞を見つけても、ひょいとつまみ上げその他のゴミと一緒に処理するだけ。いちいちそんなものに眉をひそめていては百姓などつとまらないのだ。ただ、これがお金にならないものかと考えることもないではない。そんなときについ連想してしまうのが、世界で最も有名な便器のこと。

それは、マルセル・デュシャンによる「レディ・メイド」シリーズのひとつ『Fountain』という有名な作品で、デュシャンがどこかで買った便器にサインをしただけのもの。一連の作品は、同時代のキュビズムとか、シュルレアリスム作品が前時代的なものに見えてしまうほどに前衛的である。

美しさや手仕事、創造力などオールドファッションな価値観を否定して、既存の芸術を徹底的にこき下ろすこと。そんなコンセプトを最もよく象徴するアンチ・アートな「便器」は、いろんな意味でコンテンポラリー・アートのパイオニア的存在だ。そんなの、今だってよくわからないのに、当時の一般人にはさらにちんぷんかんぷんだったのではないかと推測する。前置きが長くなった。

1970年代後半以降に世界中で吹き荒れたパンクロックムーブメントも、アンチ・アートの一つとされる。既存のポピュラーミュージックにあった、わかりやすい美しさや、高度な職人技を否定した、破壊的な音楽は、ヨットロック的な気合いの足りない音楽に飽き飽きしていたであろう若者を中心に瞬く間にフォロワーを生んだ。あ、これなら俺にだってできるかも! レコードだって自分たちで作っちゃえ!と。

それは、既存システムとか既存アートの否定というよりも、そこにリーチできない者たちの地下で蠢くマグマのごとき行き場を失っていた情熱とか、DIY精神などその他諸々の発露なのではなかったか。アンチ・アートとかそんな小難しい屁理屈にさえ中指を突き立てるような爽快さ、そしてある種の崇高さが、2021年のディープサウスに暮らすしがない百姓の胸をも打つのである。

もちろん、アンチ・アートなパンクロックもあったが、それらはアートの鑑賞能力に乏しい僕にはまったく響くものがない。若い頃には、なんだか恥ずかしくてこんなこと書けなかったが、今なら言える。美に対する追求心と、とてつもない情熱、そして創意工夫が込められたものであれば、それが便器であろうと音楽だろうと、正しく評価できる人間でありたいと思う。Teenage Kicksの一節を墓碑銘にしたJohn Peelのように。

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