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Judee Sill - ‎Heart Food

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レコード会社の広告や音楽雑誌の片隅、あるいはレコード屋の小さなポップの見出しに、あのフレーズを何度見ただろう。そんなに隠れてて表舞台は大丈夫なのかと心配してしまうほど、優れた作品というのは隠れていなきゃいけない存在らしい。

そんな嫌味の一つでも言いたくなるほどに、ある時期僕は「隠れた名盤」不信に陥っていた。レコード会社が売れない在庫をさばくために使う惹句を、真に受けるほうがどうかしていることくらいわかっているつもりではあるのだが、「隠れた名盤というものがもし本当にあったらどうしよう」というよくわからない心理が働いていたのである。

そもそも「隠れた」「名盤」とは、なんなのか。とりあえず「名盤」を、音楽雑誌がまだ権威だった時代に批評家筋によって高く評価された作品と定義してみる。それはロックやジャズ、その他のジャンルにおいて、セールスとは無関係に、エポックメイキングかつ極上の作品に与えられる称号だ。

しかし革新的、あるいは高尚すぎる作品は、市場に無視されがちだ。ゴッホやピカソだってそう(当時の批評家がアホだったのだ、と後の歴史家は批判するかもしれないが、それは後出しジャンケンくらいにずるいと思う)。実に短絡的だが、こんな事情等によって「名盤」とは「隠れて」しまいがちなのかもしれない。

ここまでで明らかになったのは、「隠れた名盤」と称される作品を聴いてがっかりしてばかりいる僕が鑑賞能力に乏しい、えり好みの激しい自称音楽愛好家に過ぎないということ。自分で分析しておきながら、不快な結論にたどり着いてしまった。「隠れた名盤」といわれるレコードなんて、そのほとんんどが過大評価されたものなのだ!とか、こき下ろすつもりだったのに……。

そんな僕にも、お気に入りの「隠れた名盤」はあって、Judee Sillの2ndアルバム『‎Heart Food』(1973年)はそのひとつ。今でこそよく知られた「名盤」だが、彼女は不遇のまま30代でその生涯を閉じている。つまり生前、市場には受け入れられなかったのだ。

不幸な生い立ちが影響したのか、10代で薬物中毒、売春、強盗などおきまりのコースを辿り矯正施設へ。彼女の音楽には、そこで出会った教会音楽とゴスペル音楽の影響が色濃く反映されている、らしい。確かに、コード進行やオーケストレーションにも、バロックミュージックやR&Bの語法を見つけることができる。多感な時期だったとはいえ、ちょっと教会音楽を学んだくらいで、これほどまでの作品を作りあげてしまうのは、彼女の天才性、あるいは強烈な信仰心ゆえか。

天にも届けと言わんばかりの完成度の高い音楽とメッセージは、あまりに高尚過ぎたのか、セールス的には失敗したらしい。そこでさらなる高みを目指して彼女が取り組んだのが、2ndアルバムである本作。狂気一歩手前の完成度の高さ、人智の限界を超えんとする崇高さは、Brian Wilsonの『Pet Sounds』を彷彿とさせる。

とにかく、どの楽曲もクリエイティビティにみちあふれているし、アレンジにも隙はない。しかも歌も恐ろしく上手くて、ピッチが正確すぎて気持ち悪いくらい。一人で重ねたであろう多重コーラスなんかは、分厚い壁となって押し寄せてくるよう。個人的なハイライトは"The Kiss"。聴くたびに崇高なるものに対する畏れにも似た感情が込み上げてくる。こうした作品を作ることこそが、彼女にとっては贖罪だったのだろう。そんな鬼気迫る紛うことなき名盤である。

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