41 Original Hits From The Soundtrack Of American Graffiti

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ここ2万年くらい風景が変わってないんじゃなかと思われるクソみたいな田舎に暮らす僕にも「ノスタルジー」と言えそうな感情くらいはある。などと大見得を切ってみたものの、多分それは我々日本人が『アメリカン・グラフィティ』を観て覚える程度のものではあるのだが。

大雑把にいえば、おそらくそれは、アメリカの属国に生まれ育ち、アメリカの古い音楽が好きで、その文化的背景に興味を抱く田舎者が感じる擬似的な「ノスタルジー」ということになるだろうか(東京を訪れたことのない僕には『三丁目の夕日』より、よほどリアリティがある)。

『アメリカン・グラフィティ』の舞台は1962年の西海岸の田舎町。内容は茫漠たる不安を抱えながらも、明るい未来へと足を踏み出しつつある青年たちの一晩の物語……である。

なんてことはないストーリーは、だからこそリアルだし、それにあの田舎町ならではの閉塞感! そして、今このタイミングでここから抜けだなければ、いずれあのくだらない大人たちみたいになってしまうという恐怖感!が、終始そこはかとなく、しかし確実に漂っている。都会者にはわからない感覚だろう。素晴らしすぎる音楽や映画的表現のみならず、こうした普遍的な事柄を丁寧に描いてあるからこそ、今なお名作とされているのかもしれない。

1962年という時代設定も絶妙だ。劇中に流れるサウンドトラックのような、いわゆる“オールディーズ”の終焉前夜であるこの年は、ベトナム戦争の泥沼に足を突っ込み始めた頃だし、ケネディ暗殺の前年、公民権運動が最高潮に達する直前、ビートルズを筆頭とするブリティッシュ・インヴェイジョン到来の前夜でもある。不穏な空気がうっすらと漂い始めているものの、白人に限って言えばだが、まだまだ明るい未来を信じて、誰もが上を向いて歩いていた“幸福の時代”だったのだ。

公開は1973年。たかだか10年前のことではあるが、その短い間にさまざまな喪失を体験した米国民は、だからこそこの映画に、強烈なノスタルジーを覚えたのだろう。20年ぶりに鑑賞し、少なからず心を動かされた僕もやはり、何かを失ってしまったのだろうか。主人公たちが忌み嫌ったはずの、単なる町のつまらない大人になってしまったはずの僕が、いったい何を失うというのか。夢や希望みたいなチンケなものなどハナから持ち合わせていないつもりだったが、そうでもなかったのか……。嫌になる。

個人的な白眉は、登場人物たちのその後をテロップで紹介する最後のシーンで流れるAll Summer Longだ。Brian Wilsonのその後を知る我々には、余計に悲しく響くのである。ジョージ・ルーカスは、この曲をエンディングで使いたいがために、この映画を作ったのではないか。そんなふうに勘ぐってしまうほど記憶に残るシーンである。

そもそも、夏の終わりにAll Summer Longを聴こうなどと、柄にもないことを考えたのがいけなかったのだ。

それにしてもこのサントラからは、呆れるくらいにいい曲ばかりが流れてくる。1960年代初頭は、ロックやポピュラーミュージックにとっても幸せな、最後の時代だったのかもしれない。

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