多武さんの絵 レイヤーに潜っていく

ずっとメモ帳に手書きだったけど、記憶力が悪化し内容がメモ帳とともに沈殿しているので、ブログに書きおこしておこうと思った。

しかし、ブログを書こう書こうと毎日思うものの、140字以上書くのは年に2回くらいで、なんというか、文章の、線形な感じが、もう苦手になっていて、これって訓練よねえって思い知ってる。昔はもっと文章という線形情報、に思考をまとめることができたから。

その代わり、踊りなんかの身体表現は深まっていて、二次元、三次元、四次元と非線形の追求ができるようになってきている、気がします。

非線形、non linear っていう言葉はこの10年くらい常に頭のどこかにあって、長くなるのでまた次回以降書こうと思う。自分は療養状態が長くなりすぎて社会との関わりが薄くなってしまったことや、非線形の表現や経験にフォーカスすることが多いことで、非線形への感度は上がったけども長い文章書いたりが、ホントーに苦手になってしまった。

で、昨日、昨年のメモ帳を広げていたところ、落合多武さんの絵を小山登美夫ギャラリーに見に行った時の感想が書いてあった。

ところでこの3年半、八ヶ岳にこもっているので、東京でギャラリーとか珍しいです。アートが遠い。

ギャラリーで見た絵は、Januruary, February, っていうふうに月ごとに絵がある。その時間軸の概念、都市名といった特定空間の名前、そこに共有されているもの、個人的な記憶や図像、確立されている概念もあれば微かな個人的なものも、そういったもろもろが二次元表現として絵の上でレイヤーを作って展開している、レイヤーというのは、色のレイヤーも素晴らしくて。

心が時間、空間、絵の深いところまで降りていける、そういう体験だった。

絵画がレイヤーを多層に含むというのは、まあどの絵もそういう面はあるし、これ以上絵画論的については語れないんだけども。。。

そのレイヤーを視覚的に認識するだけではなくて、他人の記憶の跡を頼りにして、時間・空間を超えたところに絵を入り口に入っていける、というのは、そんなにできる経験じゃないから。ぱっと見さりげない抽象画でそんな経験ができるのって、多武さんすごいなあーーーーーーってちょっと感動した。

先のノンリニアの話でいうと、自分は、空間・時間に、現代社会ではリニアに規定されがちなそこに、ノンリニアにどう身体を使って切り込んでいけるか、というところに興味があるので、こういう絵画経験は本当に貴重だったのでした。

自分が11月生まれなので、11月のものを写メしたの貼っておきます。http://tomiokoyamagallery.com/artists/tam-ochiai/ ここから作品みれます。

ところでサイトンブリー思い出した。サイトンブリーについての議論は不勉強だけど、見るごとにめちゃくちゃ感動したことは覚えてる。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?