あぐちじんじゃ

●堺市堺区甲斐町東(かいちょうひがし)
◯しおつちのおじ
 すさのを いくくにたまのかみ


市街地の、アーケード延びる商店街の側に坐ます。アグチに当てる漢字は「開口」。

お社は、付近から北に向かって延びていた長い半島(砂州・砂堆)の付け根に坐ましていて、半島の東側に広がっていた入江にも、西側の大阪湾(チヌノウミ)にも「両睨み」出来そうなポジションで。

(堺の町は元々はこの半島上に形成された集落が始まりだったみたい)

むかしはアグチのお社は住吉さんの「奥の院」とされていたそうで、お社坐ます南北に長い半島(砂州・砂堆)の北端ちょっと先には住吉さん坐ます、ココに比べたら規模の小さい入江が在って、

(住吉さんの入江の奥に坐ますお社は「トドロキヒメミコトジンジャ」)

そんなことを思うと、お社が住吉さんの奥の院だと云うのは、「アースダイバー」的には納得で。

(「宮」→ミヤ→ミァ→マ→馬。
「院」→イン→イム→伊牟→牛。)


むかしむかしはお社は、アグチミノトヒメジンジャとも呼んでいたそうで、

アグチはアグトィならば「アの牛と月のイ」、アグチミノトヒメはアグトィミヌオトォヒメなら「アの牛と月のイの蛇仕切る力強い月の王のシャーマネス」。

御祭神、シオツチノオジはシオツチヲヂ、シオトゥチウォドィ(トィ)ならば「シ(イ)の王の月のシ祀る月のイ」。

シオツチノオジさんの別称は、「事勝食勝国勝長狭」と当てて「コトカツクイカツクニカツナガサ」とされていて、

コトカツクイカツクニカツナガサは、クォトォカチゥ−クイカチゥ−クニカチゥ−ニァグァシゥァで、

「大きい王の月の王の蛇のシ祀る、大きいイの蛇のシ祀る、大きい混じりし蛇のシ祀る、混じりしアの牛のアのシを祀るア」。

(「ナガサ(長狭)」って、地名じゃなくて、信仰のカタチのことだとすると、けっこうスンナリ解けるんかもしれん)

「月のイ」の本質は、そんなような流れのことで、また、信仰を抑えることは、皆の心を統べることだろうから、今の「私達」とは違い、神政は執政と同等、或いはそれ以上の意味を持っていたのかも。

また、白鬚な「シラヒゲ」はシヌァフィクェなら「シ仕切るア統べるイの大きいイの部族」、シヌァフィグェならば「シ仕切るア統べるイの牛のイ」。

或いはまた、三つのナスビ、「ミツナス」はミトゥヌァシゥならば、ネフスキー的に「蛇の月仕切るアの(と)シ祀る」。

或いはまたまた、アキハヤクチヒメ(開速口姫)はアクィハヤ−クトィヒメなら「アと大きいイの蛇の土地の、大きい月のイのシャーマネス」。

ウワはウアで「統べるア」。
ナカはヌァカで「仕切るアの蛇」。
ソコはシゥオクォで「シ祀る力強い大きい王」。

「鳥(トォヌィ)」とか「筒(トゥチゥ)」とか「土(トゥチ)」とかって、ヒョイと唐突に提示されるんだけど、

トゥオヌィ(鳥)、トゥチゥ(筒)、トゥチ(土)で、どれも「お月さん(トゥ・ツ)」繋がりなんかも。

ココのお社は、牛と蛇の人達の「土」「筒」「鳥」のお社だったんかも。


鳥→トリ→トォヌィ→月の王仕切るイ
筒→ツツ→トゥチゥ→月のシ祀る
土→ツチ→トゥチ→月のシ(イ)

鳥取→トットリ→トォチォヌィ→月のシ力強く仕切るイ
筒井→ツツイ→トゥチゥイ→月のシ祀るイ
土蜘蛛→ツチグモ→トゥチクムォ→月のシ(イ)の大きい牛の王

社頭はアーケード。
反対側から。
カイモンブギのすぐ隣には異空間。
イバラキ・キタノ・オオテマエ・テンノウジ。
ココの旧制中学の始まりは境内だったみたい。
コッチはココの女学校。沢口さんも卒業生。
お菓子屋さんの娘さんだったそう。
ホンマにこんな町中から波の音聞こえたんやろか?
小さな男の子が泣きじゃくってすがりつく
二年前の映像がずっとこびりついていて。
きみしにたもうことなかれ。

No. 0252

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?