はやたにじんじゃ

●廿日市市上平良(はつかいちしかみへら)
◯あきはやたまお
 あめのゆづひこ


廿日市市郊外、中国山地へと延びる谷筋の入り口の集落内に坐ます。

お社の御祭神はアキノクニノミヤツコ、地域の一番有力な部族の祖神さんだとされているアキハヤタマオさん。

アキハヤタマオには「飽速玉男」と当てていて、広島なのにアキには安芸でなくてアクの「飽」。

飽なアキは、アクィで「アと大きなイ」やろか?広島県も、そんな色の人員構成の地域やったんかも。

ハヤタマオはハイァトァマウォで「蛇のイとア、太陽のマを仕切る王」。

アクィ(安芸)を仕切る王さんって、
イ・アのイの王さんやったんやろか?
ア・マのマの王さんやったんやろか?
イ・マのマの王さんやったんやろか?

アキハヤタマオさんの御先祖さんにはアメノユヅヒコさんと呼ばれる神さんが居たはって、

アメノユヅヒコはアメニォイゥトゥヒコで「アと蛇(或いは牛)混じりし王、イ仕切る月の(信仰の)神の子」。

アメはアミ(蛇)ェやろか?アム(牛)ェやろか?

月の子は、イの月の子のイトゥオ(伊東・伊藤)やろか?アの月の子のアトゥオ(阿刀・阿東・阿藤)やろか?

広島市佐伯区の「サエキ」。

サエキはサイェキィなら「小さいイの部族の大きなイ」。

佐伯の部族って、マツロワヌ人達のトリコを、オコナイの事柄に従事させたり、フロントラインに駐屯させたりしてた部族では?と云われてて、

従事したり、駐屯したりしていた人達が「サイェキベ」、サイキベを仕切った立場の人達が「サイェキウジ」みたいなので、

「佐伯」なサイェ−キィの「小さいイ」の方が従事したり駐屯したりした人達で、「大きなイ」がそんな人達を仕切っていた人達ってことやろか?

でもって、サエキに、何故か「佐伯」(「伯」はハク。エキとは読まない)と当てるのは、サエキの部族を仕切る人達が、「シラ(白)の人」だと云うことを文字を見たら判るようにしているのかも。

サエキの由来は「サエズル(囀る)」から来ているとか、「サエギル(遮る)」から来ているとも云われてて、

トリコにしたマツロワヌ人達の言葉、仕切ってる人達とは違う言葉で、何話してのか解らないから、仕切ってる人達には囀り(サエズリ)にしか聴こえなかったのかも。

また、トリコにした人達を配置することで、別のマツロワヌ人達が入って来るのを遮(サエギ)っていたのかも。

もしくは、その両方なんかも。

サエキさんは、カムヤマトイワレヒコさんの近衛の部族、オオトモ(大伴)さんの支族だったとも云われてて、オオトモはオホトォムォならば「力強いホの(信仰の)月の王の牛の王」。

(「半」は「ナカライ」。ナカライはヌァカニァイなら「(祭祀)仕切ってるアとカが混じるアとイ」。「伴」は、そんな部族の属性を一文字で説明してるんかも)

オオトモさんって、時代が下がると「トォムォ(伴)」さんと部族の名前が変わるけど、それは、世間には、シが無くなってホだけになって、わざわざ「オホ」と断らなくてもよくなったからかも。

ココのお社の近くに居たはったサエキさん達は、お社のアレコレをしたはる人達やったんやろか?

それとも、フロントラインに配置されてる人達やったんやろか?

お社は、後の人達にとっても大事にしなければならないお社で、神さんだったようで、延喜式神名帳では「大社」、高いランク付けがされてるお社だったよう。

広島県は、イツの、ドコの、ダレの、ドチラに向いたフロントラインだったんでしょか?

サカノエって、サカニォウェなら「小さい蛇混じる力強く(武力で)仕切る部族」。

シゥァカニォウェなら「シ祀るアとカの人達混じる力強く仕切る部族」。

ツボ(都慕)って、トゥホなら「月のホ」。チゥモで「シ祀る馬(或いは牛)」だとしたら、

サカノエさんって、イとか、イ・マのイの人達違うやろか?

アテルイって、アトェヌィなら「アの月の部族仕切るイ」。

アテルイさんって、アソベ(アソベ→アシゥォエ→アのシ祀る力強い部族)やなくて、ツボケ(ツボケ→チゥモクェ→シ祀る馬(或いは牛)の大きな部族)の人やろか?

アテルイさんって、イ・マやイムなイの人やったんやろか?

マツロウたか、マツロワなかったか「だけ」の立場の違いで、サカノエさんとは同じ出所の人やったん違うやろか?

サカノエさんがフロントラインに剣かざしに行かなければならなかったことと、オオトモさんから「オホ」が外れてしまったことって、

同じ脈絡の上の同じオハナシなんかなあ?と、想えたりもいたします。

クニヤブレテサンガリア
テキモミカタモヨンダリヤ
ミンナデナカヨクノンダリヤ

No.0194

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