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2022年によく聴いた音楽

10.Wilco『Cruel Country』

Wilcoというバンドは、カントリーミュージックの継承と解体の狭間を彷徨し、その豊かな音楽性を醸成してきた。最新作の『Cruel Country』という題には、ele-kingのレビューで木津毅さんが指摘しているように、「カントリー・ミュージック」と「国家(としてのアメリカ)」の二つの意味が籠められているのであろう。活動歴の長いバンドが腰を据え、これまで中心に据えてきた二つの問題に(多大なる愛憎を込めて)立ち返ろうとした本作には、特別な意味を見出さずにはいられない。

I love my country like a little boy
Red, white, and blue

I love my country stupid and cruel
Red, white, and blue

All you have to do is sing in the choir
Kill yourself every once in a while
And sing in the choir
With me

Wilco「Cruel Country」より

前作『Ode to Joy』で音響の冒険を遂げたベテランは、最新作においてバンドの歴史を総括するようにカントリー路線に回帰している。しかし、ベーシックなカントリーへ回帰したからこそ、バンドのソングライティングの妙やサウンドの拡張、歌詞に込められたアイロニーがこれまで以上に顕在化している。このアルバムはどこから切ってもその複雑な妙味が味わえる極上の金太郎飴であって、その言葉を何の皮肉も含まない純粋な賛辞として成立させてしまう点が、バンドの実力と懐の深さを物語っている。

09. Daniel Rossen『You Belong There』

グリズリーベアのギタリスト、ダニエルロッセンの初ソロ作。作品成立の背景や動機については、TURNによる岡村詩野さんのインタビューが詳しい。本作を作成する際、ブラジリアン・ミュージック(特にエグベルト・ジスモンチ『水とワイン』)を重ねて聴いていたためか、ストイックで構築的なグリズリーベアの音楽の印象よりも、どこか伸びやかな余白を感じさせる楽曲が並んでいる。そしてその自由な印象が楽天的な印象に繋がらず、極めて理知的な響きを獲得していることが本作の大きな魅力である。
表題曲の「You Belong There」は、ダニエルが10代の頃に録音したピアノのフレーズが元となっているそうで、アイデアの原型が正式に楽曲として音源化されるまでに20年超の歳月を費やしたことになる。「自分が置かれている立場や場所、そこからの移動と転移」について歌ったというこのアルバムは、その楽曲の響きの奥に豊かな歴史の蓄積を隠している。

08.Rosalía『MOTOMAMI』

ロザリアの音楽性について、文化盗用的な論争が発生する余地があることをThe Sign Magazineによる池城菜津子さんの記事によって改めて知った。「良いものは良い」といった自分自身の態度が、音楽の文化・歴史的側面に対して敬意を欠いた、全く能天気な態度であると思い知らされると同時に、作品の作り手であるロザリアが、そのような葛藤を感じさせないほど自身の才能を開花させている様に感動を覚えた。「ナッツをこじ開けるように世界を開け。」とは、本作品を制作するロザリアに対して、フランクオーシャンが贈った言葉だそうだ。今年のCoachellaにおけるライブパフォーマンスはまさにその言葉を体現した圧倒的なものだった。

07.Whatever the Weather『Whatever The Weather』

かつてエリック・サティは「家具のように、そこにあっても日常生活を妨げない音楽」を発明し、その音楽と精神はアンビエントというジャンルに引き継がれることになった。アンビエントは刷新を続け、その影響先を「部屋」という空間から聴き手の精神世界へと拡大させてきた。
 Loraine Jamesが別名義で制作したこのアルバムの素晴らしさは、一言でいえば風景を立ち上げる力にある。全て摂氏で統一された曲名は、聴き手にこのアルバムを様々な環境と結びつけることを促す。言語によって楽曲のイメージを固定せず、解釈が聴き手に委ねられたこのアルバムに対する印象は、季節が巡るごとに変わっていった。
 このアルバムの涼しい音を、暑くなってきた6月や残暑の漂う9月に、部屋の窓から入ってくる風を感じながら聴くのが大好きだった。この音楽を聴いていると、自分の部屋が自分の部屋でなくなって、今ここには吹いていないはずの風が遠くからやってきてくれたような感覚を覚えた。この音楽から感じるのは、周囲の環境や風景との強烈なまでの親和性である。アンビエントとしての側面が強い作品の中にもビートを持った楽曲が都度配置されており、作品全体に起伏があることが作品の魅力を大きく引き上げている。そしてそのビート自体が、アルバム全体の心地良い冷たさに調和している点が素晴らしい。

06.caroline『caroline』

2017年にロンドンで結成されたバンドのデビュー作。素晴らしいアートワーク。近未来のディストピアを思わせるジャケット写真と、8人編成のバンドが奏でるアコースティックな音像が結びつき、この円盤の中に普遍的なものが宿っているような予感を起こさせる。
 結成からアルバムリリースに5年の歳月をかけ、メンバーが音楽性の熟成を待ったということが、まず何よりもこのバンドへの信頼を高める。このバンドの音楽や佇まいからは、既成の発想に対する固執が全く感じられない。ele-kingフォーク特集号の誌面で行われた、野田努さんによるメンバーへのインタビューを読んでいても、彼らが自分達の音楽を何かのジャンルにカテゴライズされることや、他のバンドに自分達をなぞらえられることに、全く関心がない(どころか、そのような分類付け自体を行うことの意味が、“本当に“ピンときていない)ことが分かる。バンドを組んで、音源を作り、ツアーを回る、といったサイクル自体が、資本主義的な価値観によって作られたものであること。バンドという集団はそうした輪の中に取り込まれないような、自由で伸びやかな在り方を可能にする可能性を秘めているということを、このバンドが教えてくれたように思う。あらゆる録音作業がPC上で完結し、音源制作自体がリモート作業で成り立つことが分かってしまったこの時代に、”バンド”という共同体はどのように存在するべきか。carolineの在り方は、その類の問いに対して確かな答えを提示している。

05.岡田拓郎『Betsu No Jikan』

「森は生きている」での活躍以降、岡田拓郎は極めて冷静に、思惟的に自身が演奏すべき音楽と対峙してきた。そのストイックな姿勢、また洞察の鋭さに襟を正されるような気持ちにさせられることがこれまで幾度もあったし、一人のリスナーとして、彼の音楽に対する眼差しには大きな影響を受けてきた。
 最新作『Betsu No Jikan』は、岡田拓郎が自身の思索の外へ脱することを目指し、それを実現するまでの静かな格闘がパッケージされた素晴らしい作品である。mikikiにおけるロングインタビューの中で、岡田は自身が「〈言語〉的なもの」に対する「疲れ」を感じたタイミングがあったと語っている。あらゆる〈言語〉的なものから逃れた境地に辿り着くために、本アルバムは様々なアーティストから送られてきた音源の断片や自動BGM生成システムも用いながら制作されたという。この音源には、思索から逃れようとした男が、その目的のためにあらゆる思索を張り巡らせた痕跡が溢れているように感じる。そしてそのような逆説こそが、岡田拓郎の音楽の魅力なのであろうと思う。

04.Arctic Monkeys『The Car』

結成6枚目のアルバム。Arctic Monkeysというロックバンドは、アルバムごとに積極的にスタイルを変え、その変化を(メンバーのファッション等にも反映させて)表明することに、一切の怯みを感じさせないバンドであった。初期の性急で鋭利なギターサウンドに撃ち抜かれ、特別な思い入れと共にキャリアを追ってきたバンドが、このような成熟を遂げたことが感慨深い(独自の道を求めてきたバンドが行き着いたのが、このような孤高の境地であるということを素晴らしいアートワークも象徴している。)
 このバンドが辿ってきた道や、今作の方向性についてはThe Sign PodcastにおけるArctic Monkeys回に詳しい。本作では、ストリングスが曲のダイナミクスを担う映画音楽的なアプローチが採用されている。Beatink主催の視聴会で本作の音源を初めて聴いた時に感じたのは、彼らがいよいよ本格的に典型的なロックバンドのレースから降りたということだった(その潔さこそが、このバンドの魅力であると感じた)。しかし、このような要素は彼らが"ロック・バンド"であることと全く矛盾しないことが、ライブにおける演奏で如実に伝わってきた。音源で曲のダイナミクスを牽引していたストリングスは、ライブにおいてはギターによって代替されている。

03.柴田聡子『ぼちぼち銀河』

柴田聡子6枚目のアルバム。前作『がんばれ!メロディー』で結成した柴田聡子inFIREの面々(イトケン、かわいしのぶ、岡田拓郎)に加え、Kan Sanoや谷口雄などのメンバーが演奏に参加している。オープニングトラック「ようこそ」を皮切りに、曲中を跳ね回るような奔放な歌唱の魅力が、アルバム全編にわたって炸裂している。しかし、このアルバムの白眉はなんといっても2曲目の「雑感」の詩世界である。
「雑感」はシングルのジャケットでも示されているように、バイクでのツーリングが曲のモチーフとなっており、二輪の乗り物が直進する様子に、自身の取り止めもない"雑感"を重ねるという構成をとる。そこで歌われるのは、バイクによるツーリングには似つかわしくない、どこか煮え切らない思考の累積である。

霧の中をありえないような速さで行く
考え抜いた末にしたことで恨まれて愛される
積み木を崩さないように見ていないとこで押さえている
ように見せかけていつだって離せるのは私です

柴田聡子「雑感」より

バイクは、運転者による絶え間ないハンドルの切り返しによって、はじめて直進することが可能になる。「雑感」は、自身が真っ直ぐに進み続けるために、逆説的に“曲がり続けなければならない“ことのままならなさと喜びを、鮮烈に歌い上げている。(ロザリアが示したKAWASAKIのバイクで疾走するモチーフとは対照的な形で)柴田聡子は緩やかなスピードでないと見落としてしまうような思考の累積を、丁寧に拾い上げることで芸術に昇華させた。

02.麓健一『3』

CDのみでリリースされた今作は、静かに、しかし確かに人の心に残り続けるであろう。石橋英子によってプロデュースされ、Jim O’rourkeも演奏に参加した本作はとても聴きやすい印象を受ける。しかしアルバム全編を聴き通したあとで、胃袋の中でドロドロとした何かが蠢いていて、自分に何らかの作用を及ぼしているような、得体の知れない感覚が持続する。そして、この音楽の「得体の知れなさ」は、自分の領域の“外“からやってきたものではなく、確実に“中“からやってきたもののように感じられる。比較的簡素なサウンドの中に、こんなにもアイロニーと諦観に由来するおどろおどろしさを籠められる麓健一の才能に、圧倒されてしまった。この音源から生じている異様な感覚について、おかざきよしともさんのブログが詳細に分析・紹介・言語化されている。

このアルバムの魅力は(その発売形態も相まって)全く違う時間感覚を呼び起こしてくれた点にある。このアルバムを取り込むために、久しぶりにPC上でiTunes起動して不機嫌になったり、一曲ずつ手打ちで曲のデータや歌詞を取り込んだり、そうした時間の全てがこの作品に対しての特別な感慨を生む要因になった。

01.Big Thief『Dragon New Warm Mountain I Believe in You』

このアルバムに対して自分自身が特別な感情を抱くのは、そのライブの素晴らしさと音楽に対する向き合い方が、音源やジャケットのイメージと結びつき、容易に切り離すことができなくなってしまったことに起因している。コロナ以降の社会において、各個人が適切な距離を保つこと。そういった社会の中で、非物理的な回路を通じて人々が繋がること。それら全ては時代が我々に要請する正しさである。しかしその正しさは普遍的なものではない。Big Thiefは、人と人とが結びつこうとする原初的な欲求と、そのような関係性の中でしか生まれ得ない閃光のような喜びを見事に表現していた。音楽が個々の演奏者のもとを離れ、バンド全体のものとなる。そしてその音楽が、バンドを超えて人々のものとなっていく過程を、鮮明に思い出させてくれたこのアルバムこそが、今年のNo. 1でした。

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