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クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』

クリストファー・ノーランの長編12作目。率直な感想として、ノーランが人間という存在の抱えた矛盾や複雑さの描写に挑み、またそれに耐えうる形で一つの作品を完結させていたということにある種の感慨を感じた。

これまでのノーラン作品は“時間”をシャッフル・並行・深化させていくことで、映画というメディア独自の表現を模索していたように思われたが、それはある意味で表層的なレベルのトリックに留まっていたように思う。『メメント』や『プレステージ』『インセプション』『テネット』といった娯楽作において、描写自体の革新性は特定の人物の心象を掘り下げることに直結しておらず、あくまでシナリオ展開上の大仕掛けとしての機能をもっていた。そうした意味で、人間に対するウェットな描写は不要といったクールさ、ある意味で非常にドライな監督像/作品像がノーラン作品が纏ったイメージであったと思う。今回の『オッペンハイマー』においては、時系列のシャッフル自体が効果的に人物像の掘り下げに繋がっており、ノーランが新しい境地に入ったことがはっきり感じられた。

海外ファンが作成したオッペンハイマーの時系列表。
何が何だか分からない。

一転して、ノーランがこの作品において表現しているのは、オッペンハイマーという人間の「想像力の欠落」である。ノーランは本作において執拗に「想像→結果」というプロセスを逆行/攪拌させる。「原爆開発」と「赤狩り」、いずれについても彼がもっていた非常に直情的な側面が大きな惨劇に繋がってしまうことを知った上で、我々は彼の貧困な想像力を断罪することができる。

この映画の冒頭が、オッペンハイマーの実験の失敗と教授に対する毒殺未遂から始まっていくことは非常に示唆的であり、冒頭場面を見るだけでも彼が「机上で理論を構築することには長けているが、その結果を自ら実証し引き受けていくことは不得手とする人間」であることが理解できる作りになっている。(本当の悪行は、悪が想像できない人間によって成されるという構造は、スコセッシ『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』にも共通して見出される。)

弟の婚約者に対する冷たい対応、ストローズに対する失礼な物言いなどの「こいつ、なんかおかしいよな」といった描写の蓄積は、トリニティ実験成功後の幻視の暴力性にも繋がっていく。(ここでいう“暴力性”とは、「人間は自己が想像しうる事柄だけを用いて、他者の悲劇を恣意的に創造/投影する」ということを意味する。)

トリニティ実験の描写は、まずマンハッタン計画によって生み出された巨大な光を、人々がどこか恍惚として見入ることから始まる。その後、オッペンハイマーは自分が生み出した手に負えない罪を、大きな揺れと衝撃によって初めて感知する。

オッペンハイマーが罪悪感の頂点において見る幻視ですら、実際の広島/長崎の惨状と比較すると、あまりにもクリーンなものである。ノーランは実の娘を配して顔の皮膚がめくれていく演出をしているが、そのめくれ方も白い布が風にたなびいている程度の演出に見えて、「実際の原爆被害はこんなもんじゃないだろう」という憤りとも悲しみとも言えない感情が湧いた。

こうした演出にオッペンハイマーの自己憐憫を見出し、それを痛烈に批判することができる作りになっている点については、「オッペンハイマーという人間を描く」という目的に対してこの映画が誠実に正対している印象を受けた。もちろん、広島と長崎の惨状を描いてこその「原爆映画」であるという批判は成立しうる。これまで映画がどのように原爆を描いてきたかということについては、BLACKHOLEのYoutubeが非常に参考になった。

それでも自分がこの映画に対して好意的な印象をもつのは、あくまでオッペンハイマーの主観に焦点化した構造を持ちながら、その主観の枠からはみ出るようなノーランの歴史に対する批判を感じる場面が多々見受けられたからである。

トリニティ実験成功に湧く観衆達の狂喜の裏に、強烈な光の中で爆心地の人々があげている悲鳴がオーバーラップされる二重性。オッペンハイマーの身勝手な振る舞いにより自死を遂げたジーンを描く場面においても、ノーランは数秒だけ他殺説を示唆するようなカットを挿入している。原爆投下地を決定する場面についても、当時のアメリカのトップたちがあのような形で人命を軽視し、それについての冗談を飛ばしている場面をわざわざ描いている。

当時の歴史が内包していた愚かさを示唆する視点があることが、この映画の批判に対する「オッペンハイマーが見ていないことは描きませんでした」という極めて便利な退路を狭めているような感覚がある。広島と長崎を風化させないために、こうした映画が作られ、それに関する議論を交わしていくことが、後世に生きる人々の責任であると感じる。

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