コロナ騒動に対しての思い

コロナ騒動について改めて思うところもあり、そこそこ長くなりそうなので初めてnoteを使ってみる。この今回の騒動は良くも悪くも世界的にも、我が国、日本としても大きな"区切り"で"転機"になるんだと思う。で、思い返してみると辻褄合わせのようで申し訳もないが今年は偶然にも"庚子"。"庚子"は「今までのやり方・考え方を終わらせ・改めて新しい事が起こる・始まる」年でずばり"区切り"で"転機"な年って言われているの。過去に憲法改正とかあったのもこの"庚子"の年。実際、この騒動を機に新しい取り組みも始まっているようにも思える。例えば大規模なオンライン企業説明会(ブラックなエキスポ2021)とかオンライン博覧会(カドカワ)とか、テレワークもそうだよね。IT化とか自動化とか少子高齢化とか機械化とか色々と言われているし、システムを活用したサービスの提供だとか、もしかしたらシステム・機械が労働し自動でお金を稼ぐような仕組みが作られる(ベーシックインカム制度)可能性もあるんちゃうかなとか思う。話が脱線したし脳みそお花畑な話もそこそこにしてコロナ騒動に話を戻す。まずは現状・実際問題として国全体がピンチだね。目に見えないモノだし専門知識が無い私は騒いでも仕方の無い事だと思う。感染拡散を防ぐには国から言われている通り1人1人がマスクしたり手洗いうがいして対策をする他ない。マスクやティッシュの買い占めとかも起こっているけど、そういうみみっちい真似は辞めて余っているなら配布しようぜ。こんなん東日本大震災と一緒で1人1人が結束して"ワンチーム"で乗り切るしかないやん。"共存"で"共栄"で"自助共助公助"で"困ったときはお互い様"だよ。で、これを機に、これを転機としてより良い社会・日本にしていこうぜ。私に何が出来るかは知らん、ただ息をして呼吸をして生きているだけなんじゃよ。

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